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出典検索?: "和央ようか"
わお ようか
和央 ようか
別名義TAKAKO
生年月日 (1968-02-15) 1968年2月15日(56歳)
出生地・東京都世田谷区
血液型O型
職業俳優
ジャンル舞台・映画
活動期間1988年 -
活動内容1988年:宝塚歌劇団入団、雪組配属
1998年:宙組に異動
2000年:宙組トップスター就任
2004年:菊田一夫演劇賞受賞
2006年:宝塚歌劇団退団、以降女優として活動。
2015年:(株)Ruby・sue(ルビー・スー)に所属。
配偶者フランク・ワイルドホーン[1]
公式サイト
⇒和央ようかオフィシャルウェブサイトボン イマージュ 和央ようか オフィシャルサイト
主な作品
舞台
『ベルサイユのばら2001 -フェルゼンとマリー・アントワネット編-』
『ファントム』
『風と共に去りぬ』
『シカゴ』映画
『茶々 天涯の貴妃』
備考
宝塚歌劇団卒業生
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和央 ようか(わお ようか、1968年2月15日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団宙組トップスター。
東京都世田谷区生まれの大阪府大阪市天王寺区育ち。身長174cm。愛称は「たかちゃん」、「たかこ」[2]。所属事務所はボン イマージュ。 1988年、宝塚音楽学校を卒業し、74期生として宝塚歌劇団入団。入団時の成績は7番。『キス・ミー・ケイト』で初舞台。 同年5月10日、雪組に配属。その後、『ベルサイユのばら?アンドレとオスカル編?』の新人公演では研2(入団2年目)でオスカル役に選ばれる。1993年『天国と地獄』で新人公演初主演。1995年、バウホール公演『大上海』で初主演を務めた。 新進男役スターとして成長し、1997年、トップスター轟悠に次ぐ雪組2番手スターに昇格。 1998年、宙組の創設メンバーに選ばれ、宙組に異動。雪組時代から引き続き2番手スターで活躍。 2000年6月、先代のトップスター姿月あさとの退団により、宙組トップスターに就任。お披露目公演は全国ツアー『うたかたの恋/GLORIOUS!!』。宝塚大劇場お披露目公演は同年8月の『望郷は海を越えて/ミレニアム・チャレンジャー!』。相手役には先代に引き続き花總まり。2004年、オペラ座の怪人を舞台化した『ファントム』では、仮面の主人公を演じた。 2005年10月に退団を発表。同年12月21日、シアター・ドラマシティ公演『W?WING』の上演中にフライングの装置が外れ、2メートルの高さから転落。骨盤、肋骨骨折の重傷を負う(歌劇団発表は全治1か月であったが、実際は全治に3か月以上はかかる大怪我だった)。退団公演『NEVER SAY GOODBYE』は入院中でありながら稽古に通い、舞台に立ち続けた。和央の回復状態への配慮から、退団公演ながら和央のダンスシーンはほとんどなかった。2006年7月2日、同作品の東京公演千秋楽をもって退団。その後、リハビリに専念。 2007年1月、青山劇場で退団後初のコンサートとなる『YOKA WAO CONCERT』を開催。構成・演出は小池修一郎。同年8月のコンサート『NEW YOKA 2007 ?ROCKIN' Broadway?』(東京国際フォーラム・ホールA)では自ら構成を担当した。 2007年12月には、自身初となる主演映画『茶々 天涯の貴妃』が公開。この映画で、2008年に第8回おおさかシネマフェスティバルの主演女優賞を受賞する。 2008年10月 - 11月、『シカゴ』で宝塚退団後初のミュージカル出演。 2009年12月には、『中央流沙』(TBS・毎日放送)で、テレビドラマに初出演(および初主演)した。 退団後は、自身のコンサートやディナーショーでは男役を演じ続けている。 2012年6月29日、初の海外コンサートをシンガポールで開催した(7月2日まで)。 2014年3月31日、米国出身の作曲家であるフランク・ワイルドホーンとの結婚を発表。同年の1月に婚約[3]。2015年7月25日にハワイ州マウイ島で挙式[1]。 2015年1月21日発売の宝塚歌劇団OGによるカバーアルバム『麗人 REIJIN』(ビクター・エンターテインメント)に参加。尾崎豊の『I LOVE YOU』をカバーした[4]。 2016年、日本国外での活動名を「TAKAKO」とすることを発表[5]。 2023年、9月よりボンイマージュ所属となる。 東京都世田谷区で生まれるも、その後間もなくして大阪に移り住む。小学校1年のころからクラシックバレエやピアノ等を習う[2]。 中学時代は当初バレーボール部に在籍したが、指に怪我をする危険があるとピアノの恩師に止められ陸上部へ入部。
来歴
人物