和声
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和声(わせい[注釈 1]英語: harmony)は、西洋音楽音楽理論用語で、和音の進行、声部の導き方(声部連結)および配置の組み合わせ[1]を指す概念である。西洋音楽では、メロディ(旋律)・リズム(律動)と共に音楽の三要素の一つとされる[2][3]
概要

狭義の和声は16世紀末のヨーロッパ大陸で起きた通奏低音奏法に端を発し、ジャン=フィリップ・ラモーの「自然の諸原理に還元された和声論」によって三和音が定義され、ヨハン・フィリップ・キルンベルガー[4]ローマ数字による和声分析1774年に創始[注釈 2]したことで始まった。フーゴー・リーマンによって創始された「機能和声理論」、ハインリヒ・シェンカーによる「シェンカー理論」、日本独自の和音記号を用いた「芸大和声」も、元をたどればラモーとキルンベルガーに端を発する。

フーゴー・リーマンに始まりヴィルヘルム・マーラー1931年に完成させた機能和声理論は日本の和声の教科書で補足的[注釈 3]に述べられていることがある。機能和声理論は、ラモーがカデンツの法則で示したトニカ、ドミナント、サブドミナントのそれぞれ個別の「機能」により着目するものである。調性の前後関係における機能に着目して分析がなされるため「対和音」という概念がある。

クラシック音楽における古典派の音楽は、声部配置の必然性に基づいている。和音の連結のみならず、対位法の影響を大きく受けている。和音を混声四部合唱による構成と見なし、その各声部の旋律的な独立性も重要視されているのが、この時代の和声の特徴である。また、この時代の和声では、声部の導き方も非常に重要視されているのも大きな特徴である。たとえば、導音は主音に解決し、和音の第7音、第9音、第11音、第13音は予備されたり特定の和声音に解決したりする。このような、各声部の独立性や動きに重点をおいて作曲する方法を声部の書法(英語: part writing)という。このため、古典派後期までに絞って教程を執筆することは現在でも行われている。

ローマ数字による和声分析として知られる「段階理論」はゴットフリート・ヴェーバーが1832年[注釈 4]に完成させた。パリ音楽院方式の和声教程はアンリ・ルベルによって1862年に完成させたが、日本ではルベルの教程を親切にしたテオドール・デュボワのほうがよく知られている。機能和声理論ヴィルヘルム・マーラー1931年に完成させた。

明治時代に日本の翻訳家は「和声学」と「和声法」の両者を混在させた。その後、ローマ数字による和声分析と機能和声理論を折衷させた芸大和声が出版されると、一斉に「学」も「法」も抜いて「和声」と呼ばれるようになった。現在の東京芸術大学で使われている和声の教科書も「新しい和声」と題され、学あるいは法は見られない。

なお、ヨーロッパで提唱された和声理論から派生しリディアン・クロマティック・コンセプトとアッパー・ストラクチャー(英語版)によって完遂された現代のポピュラー音楽における和声については「ポピュラー和声」を参照のこと。
歴史
古典派まで

13世紀ごろから、ある旋律に対して1つまたは2つ以上の旋律を同時に奏でて音楽を作ることが行われるようになった。この作曲法・作曲理論を対位法英語: counterpoint)という。対位法では、ある旋律が他の旋律に従属するのではなく、それぞれが独立した旋律と感じられるように工夫する。

ルネサンス期(15世紀 - 16世紀)になると、和音が意識されるようになった。対位法による楽曲でも複数の旋律が奏でられるとき、ある部分を縦に切り取ってみると、音の積み重ねとしての和音が存在している[5]機能和声理論の初動者は分析した。しかしこのような現象を和声として感じることは最も保守的だったローマでは御法度であった。しかし、やや緩かったヴェネツィアではオルガンが二重合唱に加わったことで、和音と和音との連結によって音楽を創るという発想が徐々に対位法理論を侵食するようになっていった。

その後、和音同士をいかに連結すべきかという法則が模索され、ラモーによりカデンツ(和声終止形)の法則が提唱された。J.S.バッハとその一族はラモーの原則に意識的にはなんら従っていないことが文献上から確認できるが、結果的にはおおむねカデンツの法則に従っている。こうして、フランスとドイツの和声理論はラモー以後二分されてゆく[注釈 5]。三和音の転回形の理解においてはキルンベルガーとラモーは全くの同一であったが、ヴェーバーが大文字と小文字の両方のローマ数字をIからVIIまで階段のように並べてから、フランスとドイツの和声理論に決定的な亀裂が生じた。

古典派18世紀後半から19世紀初頭)の時代になると、カデンツの法則に則った和音の連結が至上のものとされるようになった。
近代の和声

前期ロマン派19世紀中盤)、つまりフレデリック・ショパンフランツ・リストロベルト・シューマン等が活躍した時代には、遠隔調への頻繁な内部転調が好んで用いられるようになった。減七の和音や、ポピュラー音楽でいうところのテンション・ノートが多く用いられるようになった。

後期ロマン派19世紀末期)、つまりトリスタン和音を媒介したリヒャルト・ワーグナーやその後継者であるアントン・ブルックナーグスタフ・マーラーリヒャルト・シュトラウス等が活躍した時代には、内部転調が頻繁となって調性感が希薄となり、音の跳躍進行が頻繁になり、リズム感が薄れ、ついには調性を感じられなくなった。16世紀ヨーロッパに端を発した調性はこうして崩壊に向かった。

印象派19世紀末期?20世紀初頭)になると、クロード・ドビュッシー旋法(モード)の手法を導入した。教会旋法をより発展した形で用いたり、全音音階といったある法則性に基づく音階を創作し、旋律や和音をその音階を用いて構成するという手法を用いた。俗に色彩和声と言われる。

近代音楽の和声に古典派で厳密に制御された規則は存在しないが、独自に教程に組み込んだ理論家は存在する[6]
現代の和声

現代(ここでは20世紀初頭?現在21世紀)においては、20世紀初頭に調性が崩壊し、新ウィーン楽派による無調の音楽が出現した。これに対しバルトークは「中心軸システム」、ヒンデミットは独自の理論による「拡大された調性」を使い、中心音の調的支配力の中で12音の半音階を駆使した。


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