和倉温泉
和倉温泉
和倉温泉
能登島
能登島大橋
ツインブリッジ
のと
七尾北湾
七尾南湾
七尾西湾
七尾市街地
温泉情報
所在地
石川県七尾市和倉町和倉温泉石川県の地図を表示和倉温泉日本の地図を表示
座標北緯37度5分12秒 東経136度55分6秒 / 北緯37.08667度 東経136.91833度 / 37.08667; 136.91833
和倉温泉(わくらおんせん)は、石川県七尾市に位置する温泉である。目次 全国有数の高級温泉街として知られ、七尾湾に面して旅館が並ぶ。また、能登観光の玄関口でもあり、海のレジャーゾーンで知られる能登島にも近く、七尾市街にもフィッシャーマンズワーフなど見所がある。 毎年1月と8月に花火大会、6月に能登よさこい祭りが開催され、宿泊客や地元の人々でにぎわう。 【和倉温泉旅館協同組合加入旅館】◎和倉温泉5号8号10号13号源泉使用
1 温泉街
1.1 宿泊施設
2 泉質
3 歴史
3.1 沿革
4 交通アクセス
5 周辺施設
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
温泉街
宿泊施設
加賀屋
あえの風
虹と海
ホテル海望
天空の宿 大観荘
多田屋
奥田屋
ゆけむりの宿 美湾荘
旅亭 はまなす
宿守屋 寿苑
お宿 すず花
湯の華
味な宿 宝仙閣
宝仙閣別館 渡月庵
能州 いろは
花ごよみ
のと楽
湯快リゾート和倉温泉金波荘
ゆのくに
十番館
【和倉温泉旅館協同組合に加入していない宿】 ナトリウム・カルシウム塩化物泉。弱アルカリ性(泉源によっては中性)高張性高温泉。 無色透明だが塩分は非常に強く、よく温まる。神経痛や関節痛・腰痛などに効能が高い。 湧出量は、約2,618 t/日(約1,600 L/分)。泉温89.1度。 開湯1200年とされる歴史の古い温泉で、傷ついた白鷺が癒しているのを漁師が発見したと伝えられる[1]。 地名の和倉とは「湧く浦」、つまり湯の湧く浦(入り江)であり、海の中から発見された[2]。 そのため、潮が退いている時でないと湯を利用することができなかったが、近世には七尾城主の畠山氏、加賀藩の前田氏によって温泉が整備され、共同浴場が置かれた。 温泉地として本格的に開発されたのは明治時代になってからであり、戦後になって交通アクセスの向上に伴い、温泉街も大規模化した[2]。 高度経済成長期に入ると能登半島方面に観光ブームが湧き起こり、その後七尾線の電化に伴い特急乗り入れが開始し、急速に宿泊客が増加した。 一時は、同じ石川県内加賀温泉郷や隣県である福井県の芦原温泉と同じく歓楽要素を持っていたが、今日その傾向は薄く、「日本一の旅館」と言われる加賀屋の影響もあって、各旅館とも高級指向を全面に打ち出している。 今日では山代温泉と並び、県内温泉地における宿泊客トップを競う形となっている。 2007年(平成19年)3月に発生した能登半島地震では大半の旅館が被災し、ほとんどの旅館が営業停止となったが、大部分の旅館は同年4月1日までに営業を再開した。
青海荘
HOTEL α-1能登和倉
岡田屋
みかさホテル和
泉質
歴史
沿革
806年 - 809年(大同年間) 温泉湧出。
1046年 - 1052年(永承年間) 「湯の湧き出づる浦」(湧浦)発見。
1641年 - 前田利常(加賀藩第3代藩主)により、湯島整備事業着工。
1674年 - 「和倉」に改名。
1654年 - 「宿方稼
1871年 - 村の共有地として湯権を認められる。
1880年 - 湯島周辺の埋め立てにより、陸続きとなる。
万国鉱泉博覧会
2007年
3月25日 - 能登半島地震により被災。ほとんどの旅館が営業停止となるが、4月1日までに営業を再開する。
交通アクセス 毎年6月に行われる能登よさこい祭り
鉄道
JR西日本・のと鉄道 和倉温泉駅下車、車で5分・徒歩で25分。
バス
北鉄能登バス・能登島交通「和倉温泉バスターミナル」下車、徒歩5分。新高岡駅・高岡駅より加越能バスわくライナー「和倉温泉観光会館」下車。大阪駅・京都駅・金沢駅より西日本JRバス北陸道グラン昼特急号「和倉温泉」下車。
車
能越自動車道 和倉ICから石川県道47号七尾能登島公園線経由で5分。
周辺施設
辻口博啓美術館
和倉温泉お祭り会館