logo和佐山城
(和歌山県)
別名城ヶ峯
城郭構造山城
築城主畠山義深
築城年南北朝時代、1356年(延文元年)頃
主な改修者畠山氏
主な城主畠山氏、羽柴秀吉軍?
廃城年不明
遺構曲輪、石垣等
指定文化財史跡未指定[1]
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度13分46.9秒 東経135度15分35.8秒 / 北緯34.229694度 東経135.259944度 / 34.229694; 135.259944 (和佐山城)
和佐山城(わさやまじょう)は、和歌山県和歌山市禰宜にあった日本の城。別名は城ヶ峯。 1356年(延文元年)、紀伊国守護・畠山義深(尾張守)によって築城された。 南北朝時代、紀伊国は南朝方に属する武将が多く、北朝方の畠山氏を敵視して紀伊各地で戦いを繰り広げ、守護として落ち着くことはなかったという。築城後に龍門山に布陣した南朝方の四条隆俊(隆資の子、中納言)方に対し、畠山氏は和佐山に布陣[2]して戦いを有利に展開させて南朝方を敗走させている(龍門山の戦い)。 城は山城で、遺構として曲輪・石垣等が残されている。1585年(天正13年)の羽柴秀吉による紀州征伐でも使用されたとされる[2]。 現在はハイキングコースや高積神社に至る参道として整備され、麓には和佐大八郎の墓がある。しかし、城跡全体は藪が多く茂り、自然に還っている状態でもある。麓の和歌山県道9号は禰宜から矢田峠
概要
脚注^ ⇒「和歌山市内の指定文化財一覧」和歌山市公式HP
^ a b ⇒「和佐山城跡」和歌山市公式HP
関連項目
畠山氏
紀伊国
日本の城一覧
和歌山県の城