味鋺
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この項目では、名古屋市の地名について説明しています。その他の用法については「味鋺 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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楠町大字味鋺
町丁
日本
都道府県 愛知県
市町村 名古屋市
北区
支所楠支所
町名制定1906年明治39年)7月16日
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号462-0000
市外局番052 (名古屋MA)[WEB 1]
ナンバープレート名古屋

味鋺(あじま)は、愛知県名古屋市北区にある地名。現行行政地名は楠町大字味鋺。
地理

現存する楠町大字味鋺は名古屋市北区の北部に位置し、主に庄内川新地蔵川八田川の河川及び河川敷部分に存在する。
河川

庄内川

新地蔵川

八田川

字一覧

楠町大字味鋺には小字が存在する。楠町大字味鋺とその前身である味鋺村の小字は以下の通り[1][WEB 2]。消滅した字については背景色    で示す。@media all and (max-width:720px){body.skin-minerva .mw-parser-output div.mw-graph{min-width:auto!important;max-width:100%;overflow-x:auto;overflow-y:visible}}.mw-parser-output .mw-graph-img{width:inherit;height:inherit}.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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[全画面表示]略地図
1 伊勢山
2 井之元
3 落合
4 北荒原
5 北嵯峨
6 狐塚
7 四反田
8 外畑
9 竹鼻
10 天道
11 堂ノ前
12 名栗
13 生棚
14 西御手作
15 東御手作
16 船原
17 政所
18 南荒原
19 南加勢
20 南合戸
21 南中田
22 南山
23 冥加

字読み備考
伊勢山いせやま
井之元いのもと1882年時点では「井ノ元」と記載。
落合おちあい
北荒原きたあわら1882年時点の読みは「きたあはら」。
北嵯峨きたさが1882年時点の読みは「きたさか」。
狐塚きつねづか1882年時点の読みは「きつねつか」。
四反田したんた
外畑そとはた
竹鼻1882年時点では「竹ヶ鼻(たけかはな)」と記載。
天道てんとう
堂ノ前とうのまえ
名栗なくり
生棚なまだな
西御手作にしおてさく
東御手作ひかしおてさく
船原ふなはら1882年時点の読みは「ふねはら」。
政所まんところ
南荒原みなみあはら
南加勢みなみかせ
南合戸みなみごうと
南中田みなみなかた
南山みなみやま
冥加みょうか
御林おはやし尾張藩の御用林であったことによる[2]
兎うさき字御林に隣接し、野兎が多く生息していたことによる[2]
東山畑ひかしやまはた丘陵地を拓いて畑としたうちの東側にあたることによる[2]
西山畑にしやまはた丘陵地を拓いて畑としたうちの西側にあたることによる[3]
岩屋堂いわやとう岩屋堂観音があったことによる[2]
大塚前おおつかまえなんづかという大塚があったことによる[3]
大塚裏おおつかうらなんづかという大塚の裏手にあたることによる[3]
新山しんやま水害を避けて新たに丘陵地を開発した新しい宅地であることによる[3]
天神てんしん天神社があったことによる[3]
一ノ曽いちのそ
鏡池かがみいけ灌漑用の溜池の名称であり、造成の際に古鏡が出土したことによる[4]。池は新木津用水の完成などで不要となり、1938年(昭和13年)5月に干拓され田となった[4]
石田いした石の多い田であることによる[5]
北石田1882年時点では記載なし。
北斎宮司きたさいくうし斎宮司があったことによる[5]
南斎宮司みなみさいくうし
県木あかたき1882年時点では「県キ」と記載。
堂ず前1882年時点では記載なし。
東堂ず前ひがしどうずまえ[5]1882年時点では「東堂ス前(ひかしとうすまえ)」と記載。お堂があったことによる[5]
西堂ず前にしどうずまえ[5]1882年時点では「西堂ス前(にしとうすまえ)」と記載。
北加勢きたかせ
北街道きたかいと『名古屋市楠町誌』には北海道(きたかいどう)とあり、村の北方の街筋にあたるという[3]
西脇にしわき神社の西脇にあたることによる[3]
松橋まつはし松の木による橋が架かっていたことによる[3]
栃ノ木とちのき栃の木の古木が植わっていたことによる[3]
神出しんて山の神が祀られていることによる[3]
南嵯峨みなみさか
南部田見みなみへたみ
北部田見きたへたみ
北船ノ前1882年時点では「北船前(きたふねまえ)」と記載。
南船ノ前1882年時点では「南船前(みなみふねまえ)」と記載。
東除外ひかしよけそと
西除外にしよけそと
井戸尻いとしり
茨道いはらとう
善ヶ坊せんがほう
六反田ろくたんだ
北合戸きたごうと
志水田しみつた
八尻はちじり
北中田きたなかた
浪打なみうち
野間のま

歴史

春日井郡西春日井郡)味鋺村を前身とする。中世には味鏡村と表記されていたが、享和3年に味鋺村と改称された[6][7]


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