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周遊きっぷ(しゅうゆうきっぷ)とは、1998年4月(昭和30年)よりJRグループがかつて発売していた特別企画乗車券である。当項目では、周遊きっぷの前身にあたる国鉄周遊券についても記述する。一般的に、特別企画乗車券は券面に(企)(マル企)と印字されているが、周遊きっぷに限り、周遊券時代の制度の名残として(遊)(マル遊)と印字される。 周遊券の歴史は古く、大正時代初期には鉄道院により割引遊覧切符が発売されていた。鹿島、香取遊覧客のために7月10日から9月10日の夏期限定で、両国橋 - 銚子 - 鹿島 - 香取 - 佐原 - 上野間をどちらまわりでも良く10日間有効で3等1円85銭、両国橋または上野 - 佐原 - 香取 - 鹿島の往復が5日間有効で3等1円65銭という切符が1914年(大正3年)には発売されていた[1]。 大正時代末期の1925年10月には「遊覧券」と呼ばれる周遊券が発売された。これは観光に必要な鉄道・バス・船舶の乗車に必要な乗車船券、食事・宿泊のための券が綴られたクーポンとなっており、鉄道省が制度を制定したが、これを作成するために数々の手間を要するため、企画・販売は日本交通公社(現在のJTB)に委託されていた。 これにより、観光に赴く旅客は事前の手配が遊覧券の手配だけで済むようになった。以降、1933年には北海道・九州内が乗り降り自由な遊覧券が設定され、1934年からは、一定の条件を満たせば、旅客が自由に遊覧券を作成できるようになった。1939年には名称を「観光券」と改しかし、戦時色が強くなると観光旅行自粛によるあおりを受け、1942年に一旦廃止された。 戦後、輸送事情がようやく落ち着きを見せてきた1955年に、国鉄は遊覧券と類似した「周遊割引乗車券」(周遊券)を制定した[2][3]。1959年には新婚旅行者を対象とした「ことぶき周遊券」が発売された[4]。国鉄周遊券は、ピーク時には724万人(1980年)の利用者数に達し[4]、周遊券を用いてバックパッカー旅行する若者は「カニ族」と呼ばれていた[5]。 しかし1996年になると、国鉄周遊券の利用者数は324万人に落ち込んでいく[6][2]。1998年4月1日からは、制度変更して利用しやすくするため「周遊きっぷ」として発売を開始した[2][3]。この周遊きっぷも、2002年度には約13万枚だった売り上げが2011年度には約4万8000枚に落ち込んだことなどから[4]、2013年3月31日からゾーン券が利用開始になるものをもって発売を終了し、全廃された[4]。
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