周杰倫
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周 杰倫
ジェイ・チョウ

基本情報
繁体字周 杰倫
簡体字周 杰?
漢語?音Zh?u Jielun
注音符号??????????
生誕 (1979-01-18) 1979年1月18日(45歳)
 中華民国 台湾省台北県林口郷
(現:新北市林口区
別名周董(President Chou)
英語名Jay Chou
職業作曲家歌手俳優司会者映画監督
ジャンルC-POPヒップホップラップリズム・アンド・ブルース
担当楽器ピアノヴァイオリンチェロギタードラム古筝
レーベルSony BMG Asia (2008年-)
JVR Music (2007?)
Alfa Music (1999?2007)
A-Sketch
活動期間2000 -
配偶者昆凌 (m. 2015)[1]
子供3
公式サイト ⇒www.jvrmusic.com
受賞

香港電影金像奨
最優秀新人賞
2006年『頭文字D THE MOVIE
金曲奨
最佳アルブム獎
Jay范特西葉恵美、跨時代
最佳歌曲獎
青花瓷、稲香
最佳國語男歌手獎
2009年、2011年


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周 杰倫(ジェイ・チョウ、しゅう けつりん[2]、Jay Chou、1979年1月18日 - )は台湾出身の歌手俳優作曲家作詞家。若者を中心に中華圏で絶大な人気を誇る。台湾で2000年11月にアルバム『Jay』でデビュー。現在は、中国日本韓国東南アジアなどで活躍する国際的な歌手であり、楽曲提供、プロデュースなどもこなす。2022年の年収は約22億元(約451億円)で、芸能人(香港・台湾を含む)収入ランキング1位であった[3]
人物

楽曲のジャンルは、
C-POPヒップホップリズム・アンド・ブルースと幅広い。クラシック調のメロディーや和楽器の音色にラップを織り交ぜることもある。また、中華テイストを取り入れた楽曲も多い。

幼少の頃からピアノ、チェロを習い、演奏楽器は他にヴァイオリン、ギター、ジャズ・ドラム等。コンサートでは琴、津軽三味線等の演奏も披露している。

楽曲の多くは方文山による作詞だが、一部は自身で作詞している。

歌詞の内容は、恋愛をテーマにしたも作品もあるが、おおよそ流行歌には無いものも多い(例えば「止戦之殤」の平和、「最後的戦役」の戦争、「懦夫」の麻薬乱用防止、「梯田」の環境保護、「陽光宅男」のオタク、「四面楚歌」のパパラッチ、「?我回來了」の家庭内暴力、「双刀」の武術、「三年二班」のスポーツ、「愛在西元前」や「上海1943」の世界史など)。父・母・祖父母など家族をテーマにした楽曲も多い。

「七里香」「忍者」など日本を舞台にしたPVも多く、歌詞の一部分に日本語の使われた曲もある。

「青花瓷」は中国の名門大学である北京大学清華大学の入学試験にも採用されたことがあり、他にも「七里香」「愛在西元前」「髪如雪」が入学試験に使用されている。「聴媽媽的話」「上海1943」「蝸牛」「愛在西元前」などの曲は小学校の音楽の教科書としても採用された[4][5][6]

張芸謀(チャン・イーモウ)、劉偉強(アンドリュー・ラウ)、朱延平(チュー・イェンピン)、張学友(ジャッキー・チュン)、李連杰(ジェット・リー)等の大物著名人も彼の才能を絶賛している。

中学校物理科教員の父と小学校美術科教員の母のもとに生まれたが、13,4歳の時に両親が離婚(以来、母子家庭)。その頃から口数が少なくなった、とも言われている。

身長175cm、体重60kg、血液型O型[7]

大好きなスポーツはバスケットボール。

ヌンチャクが得意。

家族、友人をとても大切にする。祖母をPVに登場させたり、コンサートのステージ上に上げた事もある。2003年7月に発売されたアルバムCD《葉惠美》は、母親の姓名をタイトルとしている(周は父親の姓)。

台北市内に、アンティークショップ「omni by JFK」(友人との共同経営だったが、現在は外れた)、イタリアンレストラン「Mr.J義法厨房」(友人との共同経営だったが、2020年5月31日閉店[8])、メンズブティック「PHANTACi」(100%本人出資)を経営しており、企業家としての一面も。

チャリティー活動に積極的で、経済的に恵まれない家庭の子供を対象にした学業援助プロジェクトなどに協力している。

2007年より映画監督にも挑戦している。

私立淡江高級中学音楽科卒業。大学には進学していないが、「合格できなかった」と雑誌『天下』の「成長論壇」で答えている。

好きな日本人ミュージシャンは久石譲久保田利伸椎名林檎、他。

手品ができる。[9]

絶対音感を持つ[10]

タイム、英デイリー・テレグラフ、中チャイナデイリーなどで「アジアのポップの王」と称されている[11][12][13]

来歴

1997年、呉宗憲(ジャッキー・ウー)が司会を務める素人参加番組に、同級生の伴奏としてピアノを演奏したところ、呉が音楽的才能を見抜き、音楽界に進む事を勧めた。しかし呉は、周杰倫の容姿を見てすぐに人気が出るとは考えなかった為、まずは作曲家として活動する事になった。

周杰倫の作曲した曲は、徐若?(ビビアン・スー)、王力宏(ワン・リーホン)など数々の有名な歌手に提供され、いずれもヒットし、その才能を示した。やがて、自ら作曲した曲をレコーディングしたところ、関係者の評判が良かった事から歌手デビューする事となり、2000年に『Jay』でデビュー。デビュー後は、逆に徐若?(ビビアン・スー)が「可愛女人」や「竜巻風」などの作詞を担当。独自のスタイルと洗練された楽曲で、たちまち人気歌手となる。歌手としてデビュー後も、引き続きイーソン・チャンF4周渝民(ヴィック・チョウ)、蔡依林(ジョリン・ツァイ)、S.H.E陳冠希(エディソン・チャン)、羅志祥(ショウ・ルオ)、南拳媽媽、浪花兄弟、温嵐(ランディー・ウェン)、Super Junior-M陳小春(ジョーダン・チャン)、許茹芸(ヴァレン・スー)、(チァン・ホイ)、香港映画スターの劉徳華(アンディ・ラウ)、郭富城 (アーロン・クオック)、余文楽(ショーン・ユー)等、多数のアーティストに楽曲を提供している。2001年にリリースした2枚目のアルバム『范特西』においては、台湾のグラミー賞と言われている金曲獎にて、「最優秀作曲賞」、「最優秀プロデューサー賞」、「最優秀アルバム賞」の3賞受賞。その他数々の賞を各地で受賞。ミュージシャンとしてトップに上りつめる。デビュー時より、年に一枚アルバムを発売するというペースが続いている。

2003年には『TIME』誌の表紙を飾り、「NEW KIND OF ASIAN POP」と説明を添付した。[11][14]

2005年、香港映画『頭文字D THE MOVIE』の主演で本格的な映画デビューを果たし、俳優業にも進出。日本では2006年2月5日・6日に東京国際フォーラムにおいて、初のコンサート『?無與倫比?Jay Chou Live Concert in Japan』を行った。2007年には、『言えない秘密』で映画監督デビュー。原作、主演、劇中音楽、主題歌も担当した。同年4月24日の上海でのコンサートでは、チケット5万6000枚を売り上げており、同会場でのジャッキー・チュンアンディ・ラウの集客数を超え、過去最多集客数を記録している。


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