周昭
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周 昭(しゅう しょう、生没年不詳)は、中国三国時代政治家は恭遠。豫州潁川郡の人。
生涯

孫権の末年に、太史令丁孚・郎中項峻に命じて、『呉書』の編纂が行われたが、丁孚にも項峻にも史官としての天分はなく、彼らの編纂した内容は記しとどめておく価値もないものであった。孫亮が即位すると、韋曜・周昭・薛瑩・梁広・華覈の5人に命じて別に『呉書』の編纂を行わせ、昔の事柄を調査して、共同して本末のそなわった史書を作り上げることとなった[1]。『呉書』の編纂は孫晧の時代まで続けられ、55巻分の原稿が出来上がったが、編纂者が早くに亡くなったり、罪を得て流罪になったり処刑されたり、また呉が滅亡したことにより、史書としては未完に終わった。

周昭も、のちに中書令となったが、永安年間に事件に連座して獄に入れられ、華覈が上表して周昭を救おうとしたが、孫休はそれを聴き入れず、処刑されたという[2]

著書に『周子』9篇[3]、『新論』[4]などがある。
参考文献

陳寿裴松之注『正史 三国志』、井波律子今鷹真小南一郎 訳・解説(ちくま学芸文庫全8巻、1992 - 93年)、※呉書は6・7・8巻、小南一郎訳。

脚注[脚注の使い方]^三国志』呉志 薛綜
^ 『三国志』呉志 歩?伝
^隋書』経籍志注
^太平御覧』注


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