周 昭(しゅう しょう、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の政治家。字は恭遠。豫州潁川郡の人。 孫権の末年に、太史令丁孚・郎中項峻に命じて、『呉書』の編纂が行われたが、丁孚にも項峻にも史官としての天分はなく、彼らの編纂した内容は記しとどめておく価値もないものであった。孫亮が即位すると、韋曜・周昭・薛瑩・梁広
生涯
周昭も、のちに中書令となったが、永安年間に事件に連座して獄に入れられ、華覈が上表して周昭を救おうとしたが、孫休はそれを聴き入れず、処刑されたという[2]。
著書に『周子』9篇[3]、『新論』[4]などがある。
参考文献
陳寿、裴松之注『正史 三国志』、井波律子・今鷹真・小南一郎 訳・解説(ちくま学芸文庫全8巻、1992 - 93年)、※呉書は6・7・8巻、小南一郎訳。
脚注[脚注の使い方]^ 『三国志』呉志 薛綜伝
^ 『三国志』呉志 歩?伝
^ 『隋書』経籍志注
^ 『太平御覧』注