呉錦三郎
[Wikipedia|▼Menu]

呉錦 三郎(くれにしき さぶろう、1906年4月6日 - 1944年5月16日[1])は昭和時代の大相撲力士出羽海部屋所属。本名は金谷三郎。最高位は十両6枚目。
目次

1 経歴

2 脚注

3 参考文献

4 関連項目

経歴

広島県呉市出身。出羽ノ海部屋に入門し、1922年1月初土俵を踏む。1931年1月十両に昇進したが、2勝9敗と負け越し、同地位にあった翌3月も2敗9休と連続で負け越して幕下に落ちた。1933年5月十両に復帰し6勝5敗と勝ち越し、翌1934年1月は全休で再び幕下に落ちてからは十両に復帰できなかった。1940年1月に廃業。1944年死去。

1933年に沖ツ海福雄がフグ中毒で急死したとき同席していたが、彼は一命をとりとめた。
脚注^ 相撲人名鑑(呉錦三郎)(アーカイブ)

参考文献

小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
関連項目

大相撲力士一覧


更新日時:2018年3月17日(土)10:35
取得日時:2019/09/26 20:44


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:2547 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef