呉市電
伊予鉄道より戻った1000形1001号車 2008年7月24日伊予鉄道より戻った1000形1001号車 2008年7月24日
路線総延長11.3 km
軌間1067 mm
電圧600(直流)
凡例
-
0.3
←旧 呉駅前
-
0.0
呉駅前
2.6
0C
本通九丁目
-
32C
鹿田
阿賀駅前
呉市電(くれしでん)は、広島県の呉市交通局がかつて運営していた路面電車(市電)である。 1909年に私鉄の呉電気鉄道として開業したのが創始である。広島県においては広島市の広島電鉄より古い開業で、山口県岩国市の岩国電気軌道に8ヶ月遅れで次ぎ中国地方2番目となるものであった。なお、当初は呉馬車鉄道として馬車鉄道にする計画であったが、大都市においては馬車鉄道は路面電車化が完了していた時代であったため、路面電車に計画変更した。また、当初は伊勢電気鉄道線(後、三重交通神都線)同様に右側通行を採用していた。改築に費用がかかるため対面通行の原理を主張してしばらく改めなかったが、1924年に左側通行となった。 その後、呉電気軌道は電力会社の広島水力電気に買収され、電力会社の系列化の流れにより広島呉電力、広島電気と変遷を重ねており、またこの当時可部軌道(現在の可部線の一部区間)も運営していた[1]。 同じ頃、芸南電気軌道が呉から東部の広方面へ専用軌道による電車路線を敷設しようとしていた。しかし国道整備が終わっていたことから併用軌道に計画変更し、1927年に順次路線を開業させた。しばらく広島電気と芸南電気軌道の併存の期間しており、しかも本通九丁目 - 鹿田間は路線が並行していたため統合の動きがあり、一旦は広島電気が芸南電気軌道を買収することとして両社で株主総会を開催するまで至ったが、契約条件の両社とも否決され実現しなかった[2]。その後、逆に芸南電気軌道側に統合することとなり、1930年、広島電気は芸南電気軌道に呉市内の軌道事業を譲渡し運営が一本化された。 1942年、大日本帝国海軍の要請で芸南電気軌道は呉市に買収され、呉市交通局の運営する呉市電となる。 戦中・戦後には空襲や台風の被害を受けたが海軍や米軍の支援も得ながら1948年に全線を復旧させた。1961年にはワンマン運転を開始するなど、合理化も図られた。 しかし、モータリゼーションの影響を受けて赤字が拡大したことに加え、昭和42年7月豪雨により市内各所が甚大な被害を受け、その復旧予算捻出のため、1967年12月17日が最終の営業、翌12月18日に廃止となった。廃止時の路線長は11.271kmであった。
概要
沿革
呉電気鉄道から広島電気まで本通り1丁目四ッ道路付近1924年呉市都市計画図
1906年8月19日 呉馬車鉄道株式会社設立(資本金65千円)
1907年
2月26日 川原石 - 本通九丁目の動力を馬車から電気への変更の特許
5月4日 資本金を300千円に増資の旨決議
9月8日 社名を呉馬車鉄道から呉電気鉄道へ改称
1908年
2月14日 呉馬車鉄道から呉電気鉄道と改称
7月28日 今西通三丁目(呉停車場前) - 呉駅前間および本通九丁目 - 鹿田間軌道法特許
1909年
10月14日 境橋(軌道併用橋)竣工
10月31日 鉄道踏切(後の西本通三丁目) - 本通九丁目間 2.3 km開業。第1号電車は福岡県大川市の大川運輸で製造[3]
12月26日 呉停車場前(後の停車場前→呉駅前) - 呉駅前間 0.3 km開業
1910年4月27日 呉線との平面交差問題で工事が遅れていた川原石 - 鉄道踏切間 0.3 kmが、同線の両側で線路を分断される形で開業