呉市海事歴史科学館
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呉市海事歴史科学館
Yamato Museum
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施設情報
正式名称呉市海事歴史科学館
愛称大和ミュージアム
専門分野海事歴史
事業主体呉市
延床面積9,628 m2
開館2005年平成17年)4月23日
所在地737-0029
広島県呉市宝町5-20
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度14分28.09秒 東経132度33分20.9秒 / 北緯34.2411361度 東経132.555806度 / 34.2411361; 132.555806座標: 北緯34度14分28.09秒 東経132度33分20.9秒 / 北緯34.2411361度 東経132.555806度 / 34.2411361; 132.555806
プロジェクト:GLAM
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海上自衛隊呉史料館とは道を隔てて向かい合う

呉市海事歴史科学館(くれし かいじれきしかがくかん)は、広島県呉市にある科学館愛称は大和ミュージアム(やまとミュージアム)で、正式名称よりも愛称が広く定着している。2024年度に改修工事が始まる予定であり、2025年2月中旬から2026年3月末まで休館となる。なお、2025年1月31日までの教育旅行の受付はされている。リニューアルオープンは2026年4月の予定。
概要

呉市海事歴史科学館条例に基づき設置されており、同条例の第1条で「明治以降の日本の近現代史の縮図ともいえる呉の歴史及びその近代化の礎となった各種の科学技術を紹介することにより住民が歴史への理解を深め、科学技術への興味と関心を高め、平和の大切さについて考えるとともに、学習の場及び住民交流の場を提供することにより地域の教育及び文化の向上並びに観光の振興に寄与することを目的」とすると定められている[1]。愛称の「大和ミュージアム」も同条例で定められている(第2条)[1]

日露戦争日本海海戦から100年目、大東亜戦争太平洋戦争)終戦から60年目にあたる2005年4月23日に開館した。

愛称の「大和ミュージアム」が示すように、旧日本海軍の超大型軍艦大和」の建造と軍事活動が中心となっている[2]

構想あるいは建設に関しては、「戦争責任」について様々な意見を向ける旨もあったが開館以来盛況を続けており、呉市の歴史的観光資源を再発見するきっかけとして呉市を全国的観光地に一躍押し上げた立役者である。呉市の経済社会にも影響を与えており、様々なイベントが行われる地域拠点の役割も果たしている[2]

初代館長の戸高一成は、当館の展示が戦争賛美ではなく、とくに戦艦大和建造など軍事や戦争によって発達した産業技術そのものとその使われ方(軍事目的)とは分けてとらえるべきだとしている[2]。館の方針としては、当館を「平和学習の場」として開放するため、実物の兵器や当時の映像フィルムなどの歴史的資料を淡々と提示するかたちで意見や注釈は付けず、政治的に中立的な立場をとるよう努めている。「歴史認識についての判断は来館者個々に任せる」という方針を採用している。

2008年度より指定管理者制度が導入され、学芸部門は引き続き呉市が、管理運営・広報などは「大和ミュージアム運営グループ」が担当している[2]

2019年(令和元年)10月に来館者累計1,400万人となった[3]
歴史
開館の経緯

呉市が造船業不況による経済停滞からの脱却を模索していた1980年代初頭、広島県は県立博物館建設を検討していた。1980年度より呉市も県に対して市内での県立博物館設置要望を出すようになった。この頃は「海に関する県立博物館」という構想であった。1990年度 - 1991年度にかけて呉市から業務委託を受けた財団法人日本博物館協会が博物館基本構想を策定し、「近代造船技術の進展」を展示する博物館が提唱された。こうして1991年度より資料収集・調査研究が開始された[2]

1993年11月、呉市長に前広島県副知事の小笠原臣也が就任する。小笠原は松山市助役を務めていたころ、同市の子規記念博物館設立にかかわった経験があり、文化行政のノウハウを理解していた。また、同博物館の資料を調べる際、司馬遼太郎坂の上の雲』などで自らの出身地・呉の「軍都」としての歴史を再確認していた。そのため、小笠原は積極的に博物館建設を推進していく[2]

1994年 - 1995年にかけて、戦艦大和を博物館の核としていくことに構想が固まっていった。しかし、県側は(海)軍事色が強い博物館を県立として開館することは難しいことを呉市に伝えた。そこで小笠原は1996年12月の市議会で、博物館建設に市主体で取り組むことを正式に表明した。1997年に呉市は主要プロジェクトの1つとして海事博物館建設を明記し、同年9月の市議会で呉駅南側の宝町地区を博物館の建設場所とすることが表明された。財源は国(防衛施設庁科学技術庁)・県への働きかけに加え、呉市博物館推進基金、呉商工会議所の募金委員会などを設立し民間資金の活用も行われた。最終的に事業費総額65億円のうち、国・県・地方交付税・募金等が約36億円、市負担が約29億円となった[2]

1999年10月 - 12月に呉市が博物館設立準備として設置していた収蔵仮展示施設で「戦艦大和展」が行われた。これには3カ月で累計1万人を超える来館者が訪れた。2000年大阪で開催された関西ミュージアムメッセで呉市が参加した戦艦大和関連の展示には、4日間で1万2000人以上が訪れ、そのアンケート結果(1300件分)では「印象に残った出展ブース」の第1位となった[2]

2003年初頭、広報活動の一環として名称募集を行い,同年8月に正式名称を「呉市海事歴史科学館」、愛称を「大和ミュージアム」とすることが公表された[2]

2005年1月、ガイドボランティアが組織された。マスコミの関心は高まっており、2005年3月の定例市議会では、入館者数の予想を当初の20万人から40万人へ引き上げられた。ただしこれらは、反対意見を抑えるための多めの見積もりであったと、小笠原らが後に明かしている[2]。2005年4月23日、開館を迎えた[2]
開館と反響1周年時

開館後、大和ミュージアムは大きな人気を博した。開館した2005年には来館者が122万9250人(開館日4月23日を起算日とした初年1年間の来館者数は161万4457人)と予想をはるかに上回り、地方都市の博物館としては類を見ないほど多くの人々が訪れた。地域・団体からの来館希望も多く、行政職員が旅行代理店業務をこなす有様であった。2005年12月公開の映画『男たちの大和』も大和ミュージアムの人気に大きく貢献した。また、これにより街全体の観光客数も大幅に増加し、呉市は年間300万人以上が訪れる観光都市に成長した[2]

なお一部からは批判も挙がった。開館直後の2005年5月、市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」は、展示の見直しを求める要請書を提出し、「軍事技術・戦争を美化している」と主張した。また中華人民共和国と、対戦国ではないにもかかわらず大韓民国でも一部に大和ミュージアムを批判する報道があり、日本共産党の呉市議が市議会でそれ引用した。ただし、大和ミュージアムへの批判やクレームはほとんどなく、具体的な行動を起こしたのは上記の市民団体にとどまった[2]
運営の沿革

年間入館者数の推移[4]年来館者数
2005年161.4万人
2006年117.9万人
2007年108.9万人
2008年89万人
2009年86.3万人
2010年81.8万人
2011年74.7万人
2012年84.9万人
2013年90.9万人

開館から時間が経っても、年々漸減しているものの大和ミュージアムは多くの入館者が訪れている。4年目以降の来館者は90万人から74万人の間で安定的に推移しており、年間10万人で成功とされる地域の歴史博物館としては異例の多さである[2]


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