呂比須 ワグナー
日産自動車での呂比須(1988年)
名前
愛称ロペ
カタカナロペス ワグナー
ラテン文字LOPES Wagner
帰化前Wagner Augusto Lopes
基本情報
国籍 日本
ブラジル
生年月日 (1969-01-29) 1969年1月29日(55歳)
出身地 ブラジル フランカ[1]
身長182cm[2]
体重75kg[2]
選手情報
ポジションFW[2]
利き足右足
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1985-1987サンパウロ
1987-1990日産自動車 49 (12)
1990-1994日立/柏レイソル 96 (85)
1995-1996本田技研工業サッカー部 60 (67)
1997-1998ベルマーレ平塚 56 (36)
1999-2000名古屋グランパスエイト 51 (23)
2001FC東京 10 (3)
2001-2002アビスパ福岡 27 (13)
代表歴2
1997-1999 日本 [3]20 (5)
監督歴
2010パウリスタ
2010PAEC
2011パウリスタ
2012-2013コメルシアウ
呂比須 ワグナー(ロペス ワグナー、Wagner Lopes, 1969年1月29日 - )は、ブラジル出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。ブラジル名はワギネル・アウグスト・ロペス (Wagner Augusto Lopes) 。1997年に日本へ帰化し、日本とブラジルの二重国籍者となった。元日本代表。 サンパウロ州フランカで8人兄弟の末っ子として生まれる[4][5][6][7]。11歳の頃から学業の傍ら兄が経営する靴工場で働き、週末には地元のサッカークラブ、インテルナシオナルFCで練習する[8]。 1984年、15歳で親元を離れ[9](フランカとサンパウロは同州内であるが約400km離れている)サンパウロFCの下部組織に加入[10]。主にMFとして起用され同年のU-15サンパウロ州選手権で決勝点を挙げ優勝に貢献[11]。1986年、17歳でサンパウロFCとプロ契約を結ぶ[12][13] も、当時のサンパウロにはブラジル代表クラスの選手が揃っており、呂比須に出番がまわってくるのは彼らが代表の試合で不在のときくらいだった[13]。1987年、日本の日産自動車サッカー部(横浜F・マリノスの前身)への移籍が決まっていた元ブラジル代表のオスカーに誘われ[14][7]、ともに日産に加入[10]。加茂周監督の指示によりFWに転向した。日産では2年目は左足首靭帯、3年目は肋骨と頭部を痛め満足にプレー出来なかったが、第69回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝のヤマハ発動機サッカー部戦では、0-2から反撃の口火を切るゴールを決め、最終的に3-2で勝利したが、契約満了での退団となった[12]。 1990年、当時JSL2部だった日立(のちに柏レイソルに改称)に移籍する[12]。1年目に22試合で33得点をあげJSL2部得点王を獲得する。1990年結婚[15]。1992年にジャパンフットボールリーグ(旧JFL)の得点王となり、ベストイレブンに選ばれる。同年長男が誕生。当時ロペスは日本もブラジル同様に出生地主義を採用していると誤解しており、この頃から「家族全員で日本人になりたい」と日本への帰化を考えるようになった[15]。翌1993年もベストイレブンと得点ランク2位となる。1993年に世界的スーパースターのカレカと、同じく元ブラジル代表のネルシーニョが加入。ロペスはカレカとの強力2トップで得点を量産しカレカに次ぐ17ゴールを決め、柏のJリーグ入りに貢献したが、1995年から元ブラジル代表FWミューレルの加入が決まると、外国籍選手枠から押し出される形で柏から放出された[16]。レイソルという保証人を失ったため帰化申請もやり直しとなってしまい、レイソルが自分のJリーグ入りを嫌ったと述懐している[16]。
来歴
選手時代