呂 公著(りょ こうちょ、天禧2年(1018年)- 元祐4年2月3日(1089年3月17日))は、北宋の政治家。字は晦叔。呂夷簡の子。呂希哲の父。旧法党の代表的な人物の一人で、司馬光とともに宰相を務めた。 初め父の恩蔭で官途に就くが、慶暦2年(1042年)に進士に及第し、神宗が即位すると翰林学士に任ぜられ、英宗実録の編纂にあたる。ところが、王安石の青苗法を厳しく批判したことから、左遷される。兄の呂公弼
経歴
参考文献
福沢与九郎「呂夷簡」『アジア歴史事典 9』 平凡社、1984年
衣川強「宋代の名族」『宋代官僚社会史研究』汲古書院、2006年