The Vampyre 1819年にSherwood, Neely, and Jonesより発行された表紙
著者ジョン・ポリドリ
国イギリス
言語英語
ジャンルホラー短編小説
出版社The New Monthly Magazine and Universal Register
『吸血鬼』(きゅうけつき、原題:The Vampyre)は、1819年にジョン・ポリドリが書いた散文小説、ゴシックホラー。ジョージ・ゴードン・バイロン以下、ポリドリ、メアリー・シェリー、パーシー・シェリーの4人がスイスのレマン湖畔の別荘にて互いに怪奇談を語り合った中(ディオダティ荘の怪奇談義)で、バイロン卿が語った話が基になっている。ここから生まれた作品としては他に『フランケンシュタイン』がある[1]。本作は創作物におけるロマン主義の吸血鬼のジャンルの始祖とみなされることが多い[2]。
クリストファー・フレイリング(英語版)は、この作品を「吸血鬼にまつわる様々な伝承を首尾一貫した文学ジャンルに融合させることに成功した最初の物語」と評している[3]。 オーブリーは、社交場において近頃ロンドンにやってきたというルスヴン卿
プロット
ロンドンに帰ってきたオーブリーであったが、そこにルスヴンが現れ驚く。彼は健在であり、新しい身分で無事に過ごしている。ルスヴンはオーブリーに誓いを確認させたうえで、彼の妹を誘惑し始める。妹を守るには無力なオーブリーは神経衰弱になってしまう。やがて回復するも、今度は誓いの終わる日にルスヴンと妹が結婚することを知らされる。オーブリーは自分の身に何かあってもいいように、結婚の日に届くよう妹への警告の手紙をしたためる。実際にオーブリーは誓いが終わる日よりも前に心労によって亡くなってしまうが、ところが手紙も間に合わなかった。ルスヴンは予定通りオーブリーの妹と結婚すると、その初夜のうちに妻を殺すのであった。 『吸血鬼』は1819年4月1日にヘンリー・コルバーン
出版
この物語は1819年にロンドンのパターノスター・ロウにあるシャーウッド・ニーリー・アンド・ジョーンズ (Sherwood, Neely, and Jones) 社から『吸血鬼。84ページの物語』 (The Vampyre; A Tale in 84 pages) として八つ折り判で初めて書籍化された。表紙には「1819年3月27日、ステーショナース・ホールで入選」と書いてあった。当初、著者はバイロン卿とされていたが、後の版において彼の名前は削除され、ポリドリの名前が表紙に追加された。
本作は、バイロンの名を冠したことや、大衆のゴシックホラーへの興味からすぐに人気を博した。ポリドリは、吸血鬼を民間伝承に登場する怪物から現代に認識されている形、すなわち上流社会を食い物にする貴族の悪魔に変えたのだった[3]。
創作のきっかけは1816年夏のことであり、ヨーロッパと北アメリカの一部が深刻な異常気象に見舞われ、「夏のない年」と呼ばれた時であった[4]。スイスはレマン湖畔のヴィラ・ディオダティに滞在していたバイロン卿と若き医師ジョン・ポリドリのもとには、パーシー・ビッシュ・シェリー、メアリー・シェリー、クレア・クレアモントが訪れていた。6月の3日間、5人は「絶え間なく降る雨」によって屋内に閉じ込められることとなり、そこで空想の物語を語り合い、また執筆した(ディオダティ荘の怪奇談義)[5][6][7][8][9][10]。メアリー・シェリーは、『Fantasmagoriana』やウィリアム・ベックフォードの『ヴァテック(英語版)』などの怪談話と、大量のローダナム(アヘンチンキ)を服用し、のちに『フランケンシュタイン』(『現代のプロメテウス』)となる作品を生み出した。ポリドリは、バイロンの『A Fragment』や『The Burial: A Fragment』とも知られる断片的な物語『Fragment of a Novel』(1816年)に触発され、「2、3回の暇な朝」が『吸血鬼』を生み出した[11]。 ポリドリの作品は同時代の人々に大きな衝撃と影響を与え、数多くの版や翻訳がなされた。その影響は現代にまでおよび、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』などと並んで、「吸血鬼に関する民俗学的な資料として引用されることさえある」という「正典」のような存在となっている[2]。1820年にシプリアン・ベラールが書いた小説『Lord Ruthwen ou les Vampires』は、シャルル・ノディエが書いたとされているが、ノディエ自身が『Le Vampire』という劇を書いて大成功を収め、ヨーロッパ中に「吸血鬼ブーム」を巻き起こした。こうしたブームには同年に出版されたハインリヒ・マルシュナーとペーター・ヨーゼフ・フォン・リンドパイントナー
後世への影響
キム・ニューマンのドラキュラ・シリーズでは、ルスヴン卿は重要キャラクターである。ドラキュラが権力を握った後、ルスヴンはイギリス政界で著名な人物となる。第1作の時代には保守党の首相であり、19世紀を通じて権力を持ち続け、1991年にはマーガレット・サッチャーの後を継いで首相に就任する。
1819年には本作の人気に乗じて、アメリカでユリア・ダーシー(Uriah D’Arcy)による『The Black Vampyre(英語版)』が出版された[13]。 本作の初期の映画化としては、ジョン・アボットがルスヴン卿にあたるウェブ・ファロンを演じて主演した1945年の映画『The Vampire's Ghost』があり、舞台はイギリスとギリシャからアフリカに変更されている。また、本作とマルシュナーのオペラ『Der Vampyr』をベースにした『The Vampyr: A Soap Opera』が撮影され、1992年12月2日にBBC 2で放送された。この中で、ルスヴン卿の名前は「リプリー」に変更され、18世紀後半に冷凍保存されていたが、現代に蘇ってビジネスマンとして成功した、というものになっている。 2016年、スタジオ・ブリタニア・ピクチャーズが本作の長編映画を製作することを発表した。
映画化