吸血鬼映画
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吸血鬼映画(きゅうけつきえいが)またはヴァンパイア映画、吸血鬼ものとは、映画ジャンルの1つで、吸血鬼を題材とした作品を指す。
解説

基本的にはホラー映画のサブジャンルだが、ドラマアクションSFロマンスコメディファンタジー、時にゾンビ映画などに分類される作品も多い。

吸血鬼映画は、無声映画の時代から世界の映画界の定番であり、大衆文化における吸血鬼のイメージは、長年にわたる映画での描写に強く基づいている[1]。数多くの映画作品において吸血鬼は人の生き血を好み、また他者を操る能力を持つなど設定は共通している。中には太陽光によって滅ぶといった吸血鬼映画で確立された設定もある。

最も人気のある原作小説は1897年のブラム・ストーカーによる『吸血鬼ドラキュラ』であり、これまでに170以上のバージョンがある。次いで、1872年に出版されたシェリダン・レ・ファニュの小説『カーミラ』の映画化が続く。2005年までに、ドラキュラ伯爵シャーロック・ホームズを除く他のどのフィクション・キャラクターよりも多くの映画の題材となっている。
歴史『吸血鬼(英語版)』(1913年)のワンシーン

初期の映画における吸血鬼は、ロバート・G・ヴィニョーラ(英語版)監督の『吸血鬼(英語版)』(1913年)などがあり、この頃の吸血鬼は不死身ではなく、また「ヴァンプ(vamps)」と呼ばれていた。このようなファム・ファタールは、1897年にラドヤード・キップリングが書いた『The Vampire』という詩に触発されたものである。この詩は同年に展示されたフィリップ・バーン=ジョーンズの女性吸血鬼の絵を解説する形で書かれたものだった。誘惑された男を描いた一遍「A fool there was ...」はセダ・バラが当該の吸血鬼(ヴァンプ)を演じた映画『愚者ありき(英語版)』(1915年)のタイトルとして使われ、この詩は映画の宣伝にも使われた[2]

不死身の貴族を初めて映画化したのは、間違いなくハンガリーの長編映画『Drakula halala』(Karoly Lajthay、1921年)だが[要出典]、これはフィルムが現存していない(失われた映画)とみなされている。

1922年にドイツで製作された『吸血鬼ノスフェラトゥ』(F・W・ムルナウ監督)はマックス・シュレック(英語版)が恐ろしいオルロック伯爵(英語版)を演じる画期的な作品であり、本物の超自然的な吸血鬼が登場した。本作はブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』を翻案したものであったが、権利者に無断の映画化であり、後にストーカーの相続人が訴訟を起こして勝訴し、すべてのネガとプリントの破棄が命じられた。現存するフィルムは、1994年にヨーロッパの研究者チームによって発見された破棄を免れた5本のプリントを丹念に復元したものである。この映画のエンディングでは伝統的な心臓への杭打ちではなく、太陽光によって吸血鬼が滅びるが、これは後の映画に大きな影響を与え、一般的な吸血鬼伝説の一部に含まれるようになった[3]

吸血鬼伝説を扱った次の古典的作品は、ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』を原作とした舞台劇の映画化であり、ベラ・ルゴシドラキュラ伯爵を演じたユニバーサルの『魔人ドラキュラ』(1931年)である。ルゴシの演技は非常に人気を博し、そのハンガリー訛りと大げさな身振りは、今ではドラキュラ伯爵の特徴として定着している[4]。ユニバーサルはこの5年後に続編となる『女ドラキュラ[注釈 1](1936年)を公開し、さらに1943年には、ロン・チェイニー・ジュニア主演の続編『夜の悪魔[注釈 2]が公開された。1931年の初作で明白に滅ぼされたにもかかわらず、ドラキュラ伯爵は1940年代半ばに3つのユニバーサル映画で生き返った。ジョン・キャラダインがドラキュラ伯爵を演じた『フランケンシュタインの館』(1944年)と『ドラキュラとせむし女』(1945年)、またルゴシが再びドラキュラを演じた『凸凹フランケンシュタインの巻』(1948年)である。ルゴシは1930年代から1940年代にかけて他に2本の映画で吸血鬼を演じていたが、この最後の映画で2度目の(そして最後の)ドラキュラ伯爵をスクリーンで演じることとなった。クリストファー・リーが演じるドラキュラ伯爵(『吸血鬼ドラキュラ』、1958年)

その後、ドラキュラはクリストファー・リーが伯爵を演じるハマー・フィルムによる新しいシリーズに世代交代した。このシリーズの第1作『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)では、伯爵が太陽の光を浴びて壮絶な死を遂げ、これは『吸血鬼ノスフェラトゥ』で登場した吸血鬼は太陽光が苦手という吸血鬼の伝説を確立し、事実上の公式な吸血鬼の設定に変えた[3]。リーは、7つの続編のうち2つを除いて、すべての作品でドラキュラを演じた。ストーカーの小説をより忠実に映画化したものが、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ドラキュラ』(1992年)だが、この作品の伯爵は中世バルカン半島の悪名高い支配者ヴラド3世と同一視されている[5]

ストーカーのドラキュラを基にした主流以外にもシェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』に触発されたレズビアン・ヴァンパイア(英語版)をテーマにした吸血鬼映画の亜流も登場した。もともと1936年の『女ドラキュラ』のザレスカ伯爵夫人もレズビアンであることが暗示されていたが、最初に公然とレズビアンの吸血鬼が登場したのはロジェ・ヴァディムの『血とバラ』(1960年)であり、より明確なレズビアン作品は、ハマーのカルンシュタインシリーズ(英語版)(『バンパイア・ラヴァーズ』『恐怖の吸血美女』『ドラキュラ血のしたたり』)がある。イングリッド・ピット(英語版)とマデリン・スミス(英語版)が主演した『バンパイア・ラヴァーズ』(1970年)は、レ・ファニュの小説を比較的わかりやすく再現したものであったが、暴力や性的描写はより露骨なものであった。『ドーターズ・オブ・ドラキュラ/吸血淫乱姉妹』(1974年)など、このジャンルの後続作品では、セックス、ヌード、暴力の描写がより明確になっている。

1948年の『凸凹フランケンシュタインの巻』がそうであるように、吸血鬼はしばしばコメディ映画の題材にもなった。ロマン・ポランスキー監督の『吸血鬼』(1967年)はこの分野の代表作である。他にもデヴィッド・ニーヴンが恋するドラキュラを演じた『吸血鬼(英語版)』(1974年)やジョージ・ハミルトンがドラキュラ伯爵を演じた『ドラキュラ都へ行く』(1979年)、『ティーンバンパイヤ(英語版)』(1988年)、『イノセント・ブラッド』(1992年)、『バッフィ/ザ・バンパイア・キラー』(1992年)などがあり、近年ではメル・ブルックス監督がレスリー・ニールセンを起用した『レスリー・ニールセンのドラキュラ』(1995年)や、タイカ・ワイティティジェマイン・クレメントモキュメンタリーで表現した『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア(英語版)』(2014年)[6]などがある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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