君和田正夫
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きみわだ まさお
君和田 正夫
生誕 (1941-06-26) 1941年6月26日(82歳)
日本神奈川県
国籍 日本
出身校早稲田大学商学部
職業ジャーナリスト実業家
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君和田 正夫(きみわだ まさお、1941年(昭和16年)6月26日 - )は、日本のジャーナリスト実業家朝日新聞社専務を経て、テレビ朝日社長などを務めた。神奈川県出身。
来歴・人物

1964年昭和39年)早稲田大学商学部卒業後、朝日新聞社入社。経済部記者として主に経済畑を歩み、東京本社経済部長等を歴任。96年に朝日新聞社の子会社であるテレビ朝日が、ソフトバンクニューズ・コーポレーションが設立した合弁会社に株の21%を取得された際には、買い戻しのため、ソフトバンクの北尾吉孝(現:SBIホールディングス社長)などと厳しい交渉をこなした[1]

1997年平成9年)6月、取締役に選任。01年6月専務(グループ政策担当)、03年2月専務(編集・出版担当)、6月代表取締役専務(編集担当、電子電波メディア局長)。
テレビ朝日社長に

2005年(平成17年)6月、テレビ朝日社長に就任する[1]。07年5月の社長定例記者会見で、丸川珠代(元同局アナウンサー)の自民党からの参議院議員選挙出馬に関して、不快感を表明し話題となった[2]。09年6月代表代表取締役会長、11年6月取締役会長[3]、12年6月相談役[4]

ほかに朝日放送社外取締役BS朝日社外取締役、ビデオリサーチ社外取締役なども務めた。
田原総一朗を巡って

2009年(平成21年)4月25日放送の「朝まで生テレビ」において、番組司会者である田原総一朗が、北朝鮮による日本人拉致問題の被害者である横田めぐみ有本恵子両名の安否を巡り、なんの根拠も示さずに「外務省も生きていないことは分かっている」 などと発言した[5]。これに対し、5月11日、北朝鮮による拉致被害者の家族会と支援団体「救う会」がテレビ番組で根拠のない発言をしたとして、田原と社長の君和田宛に抗議文書を送付したと発表した[5]

同19日、中曽根弘文外相は、閣議後の記者会見において、一連の田原の発言に対して、「大変遺憾で非常に誤解を与える発言だ」「外務省は安否不明の拉致被害者はすべて生存しているとの立場、前提に立っている。田原氏の発言はまったくの誤りで残念に思う。一日も早い拉致被害者の帰国に努力している人たちに失礼な話だ」と反論している。同日には田原も「人の生死に関する問題を、具体的な情報源を示すことなく発言したことは深く反省している。横田さんたちが生きていることを心から望んでいる。言葉が足りず、大変申し訳ない」と謝罪。同じく抗議されていた君和田は、家族会に対して、「不快の念を抱かせ誠に申し訳ない」などとする番組プロデューサー名の文書を送付した。

2010年(平成22年)3月末で番組終了した「サンデープロジェクト」について、出演者の一人である高野孟は、「朝日新聞出身の君和田正夫会長の『田原嫌い』ゆえの番組打ち切り指令」だったと断定したが[6]、それほど単純ではないとする見方もある。
独立メディア塾

関口宏とは親交が深く、2014年(平成26年) 1月1日、関口らをコラムニストに迎え、ウェブサイト・独立メディア塾を開いた。
脚注[脚注の使い方]^ a b 「登場 29日付でテレビ朝日の新社長に就任する 君和田正夫氏 64」『読売新聞』8頁 2005年6月29日
^丸川出馬でテレ朝社長困惑「個人的感想いっぱいある」(2007年5月23日掲載)
^代表取締役の異動に関するお知らせ 2011年4月28日 株式会社テレビ朝日 プレスリリース
^人事:テレビ朝日(6月28日) 2012年4月27日 毎日新聞
^ a b 「拉致家族会が田原総一朗氏らに抗議文 討論番組発言で」『読売新聞』29頁 2009年5月12日
^サンプロが終わって何が残るのか? 高野孟の「極私的情報曼荼羅」(2009年12月17日掲載)

外部リンク

独立メディア塾










テレビ朝日歴代社長
歴代社長

赤尾好夫 1957.11-1960.11

大川博 1960.11-1964.11

赤尾好夫 1964.11-1965.3

山内直元 1965.3-1970.4

横田武夫 1970.4-1974.11

高野信 1974.11-1981.6

中川英造 1981.6-1983.6

田代喜久雄 1983.6-1989.6


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