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向源寺(こうげんじ)は、滋賀県長浜市高月町渡岸寺[1]にある真宗大谷派の寺院。山号は紫雲山。国宝の十一面観音像を有することで知られる。観音像は当寺に属する渡岸寺観音堂(どうがんじかんのんどう)に安置されている。 『近江伊香郡志』所収の寺伝によれば、天平8年(736年)、当時、都に疱瘡が流行したので、聖武天皇は泰澄に除災祈祷を命じたという。泰澄は十一面観世音を彫り、光眼寺を建立し息災延命、万民豊楽の祈祷を行い、その後憂いは絶たれたという。その後病除けの霊験あらたかな観音像として、信仰されるようになった。延暦9年(790年)、比叡山延暦寺の開祖である最澄が、勅を奉じて七堂伽藍を建立したという。 元亀元年(1570年)、浅井・織田の戦火のために堂宇は焼失した。しかし観音を篤く信仰する住職巧円や近隣の住民は、観世音を土中に埋蔵して難を逃れたという。この後巧円は浄土真宗に改宗し、光眼寺を廃寺とし、向源寺を建立した。 明治21年(1888年)、宮内省全国宝物取調局の九鬼隆一らが当寺の十一面観音像を調査し、日本屈指の霊像と賞賛した[2]。古社寺保存法に基づく日本で最初の国宝指定は明治30年(1897年)12月28日付けで行われたが[3]、このとき、この十一面観音像も国宝に指定された(当時の「国宝」は、文化財保護法における「重要文化財」に相当する)。国宝指定時の内務省告示における十一面観音像の所有者名は「観音堂」となっている[4]。向源寺が属する真宗では、阿弥陀如来以外の仏を本堂に祀ることを認めていないが、この十一面観音像については、向源寺飛地境内観音堂に祀るということで、本山から許可された[2]。大正14年(1925年)には平安時代建築の様式を取り入れた観音堂が再建された。昭和17年(1942年)には宗教団体法の規定に基づき、向源寺飛地境内観音堂は正式に向源寺の所属となった[2][5]。十一面観音像が文化財保護法に基づく国宝(いわゆる新国宝)に指定されたのは昭和28年(1953年)のことである。同年より、十一面観音像と胎蔵大日如来坐像は、高月町国宝維持保存協賛会の理事が毎日交替で維持管理に当たっている。 国宝。向源寺に属する観音堂(渡岸寺観音堂)に安置されていた像で、1974年に収蔵庫の慈雲閣が完成してからはそちらへ移されている[6]。寺伝では泰澄作とされるが、像容に密教思想の影響がみられることから、実際の制作年代は平安初期、西暦では9世紀とされている。
歴史
十一面観音立像十一面観音立像