向充
魏
梓潼太守
出生生年不詳
荊州襄陽郡宜城県
?音xiang ch?ng
主君劉禅→曹奐
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向 充(しょう じゅう)は、中国三国時代の蜀漢・魏の政治家。本貫は荊州襄陽郡宜城県。兄は向寵。叔父は向朗。 諸葛亮の死後、蜀漢では各地で彼を祀る廟を建立したいという申し出があったが、朝廷は礼の制度に背くとして許可しなかった。成都に諸葛亮の廟を建立すべきとの意見も出されたが、劉禅はこれも許可しなかった。そのため民衆や異民族の者たちは季節の祭りを口実に、路上で勝手に諸葛亮を祀っていた。 この事態を受け、中書郎の官にあった向充は習隆と共に、諸葛亮の墓に近い?陽の地に、彼の廟を建立するよう上奏した。上奏は認められ、景耀6年(263年)に廟は建立された[1]。 蜀漢の時代、向充は射声校尉・尚書を歴任し、大将軍の姜維を支えた[2]。蜀漢が魏に滅ぼされた後の咸熙元年(264年)には梓潼太守となった。
生涯
出典
陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書 向朗伝、及び付向寵伝 s:zh:三國志/卷41#向朗
脚注^ 『三国志』蜀書 諸葛亮伝、及び注に引く『襄陽記』 s:zh:三國志/卷35