名金
The Broken Coin
監督フランシス・フォード
脚本グレイス・キュナード
原作エマーソン・ハフ
『名金』(めいきん、英語: The Broken Coin, 「割れた硬貨」の意)は、1915年(大正4年)製作・公開、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)製作・配給によるアメリカ合衆国のサイレント映画、シリアル・フィルムである[1]。日本では『マスター・キイ』に次いで「連続活劇第2弾」として公開された同社のシリアルである[2][3]。日本での別題『金貨のかけら』(きんかのかけら)[3][4][5]。 ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニーが同社の最初のシリアル・フィルムであるフランシス・フォード監督の『國寶』(別題『ルシル・ラヴ』、Lucille Love, Girl of Mystery
略歴・概要
日本では、同年9月30日に浅草公園六区・電気館において、日本で初めて封切られたシリアルである、ロバート・Z・レナード監督の『マスター・キイ』[2][7]に続き、2週後の同年10月10日、浅草公園六区・帝国館を皮切りに毎週連続で公開された[2]。配給は、同年7月に東京市京橋区南伝馬町3丁目14番地(現在の東京都中央区京橋3丁目)に設立された播磨ユニヴァーサル商会[8]が行なった。この2作は大ヒットとなった[2]。ユニヴァーサルのシリアル第1作『國宝』も、この2作の公開後の翌1916年(大正5年)7月に公開された[9]。
本作が公開された際の日本での反響は大きく、当時慶應義塾の旧制中学生であったのちの映画監督の山本嘉次郎は、同級生ののちの脚本家・小林正に「あれを見ねえバカがあるか」と煽動されて、浅草の帝国館で観ているが、この2人の少年は、鍛冶屋に二銭銅貨を2つに割ってもらってそれぞれが持つ「名金ゴッコ」に興じており、間もなく同様の玩具が全国の駄菓子屋で販売されたという[10]。「名金ゴッコ」については筈見恒夫も指摘しており、少年たちがボール紙の金貨を奪い合う遊びをしている様は、のちの『丹下左膳』を真似て剣戟ゴッコをするのと同様である旨の記述をしている[11]。
作品について、山本は「面白いの面白くないの、いままでの単調、鈍重、舞台劇の焼き直しのような欧州物と較べて、波瀾重畳、スリルとサスペンスに満ちて、テンポがスピーディーである」と回想している[10]。映画史家の田中純一郎は、日本で公開された当時の連続活劇のなかでも本作がもっとも評判が高く、ノベライズ小説が日本でも翻訳出版されたことを指摘している[2]。
現在、本作の原版・上映用プリント等は散逸し現存しないとみなされている[12]。