名谷町
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 兵庫県 > 神戸市 > 垂水区 > 名谷町

名谷町(みょうだにちょう)は、兵庫県神戸市垂水区にある町名。郵便番号は655-0852。平成17年10月1日現在の世帯数は4,008、人口は男性4,149、女性4,515で合計8,664[1]目次

1 地理

1.1 河川

1.2 小字


2 歴史

2.1 沿革

2.2 地名の由来


3 交通

3.1 バス

3.2 道路


4 小・中学校の校区

5 施設

6 史跡

7 脚注

8 参考文献

地理 高架下が公園化された地点

垂水区中部を流れる福田川の中流から上流に位置する。旧明石郡垂水町名谷であった範囲から戦後の宅地造成によって新たな町が独立していき、残った範囲が現在の町域となっている。名谷地区の大部分を占める。また、つつじが丘七丁目の東側に飛び地を1つ持つ[2]。東西を丘陵地に挟まれた地形となっており、その谷筋を県道が通る。かつては谷沿いに田畑が耕作されていた農村であった。西名、東名、滑、中山、奥畑のもと5つの村だった地域からなっており、それぞれの地区に古くからの史跡が残る。現在では住宅地としての性格が強くなっており、新興住宅地、大規模な市営住宅などが建ち、県道沿いやインターチェンジ周辺には商業施設がある。一方、転法輪寺周辺の原生林、福田川沿岸のプロムナード、高速道路高架下に整備された公園など、自然環境も豊富である。

東は須磨区菅の台、つつじが丘桃山台、下畑町、南は青山台、美山台、福田、千鳥が丘、潮見が丘、西は学が丘、小束山本町、小束山神和台、北は西区学園東町、須磨区緑台、西落合に接している。住居表示は実施されていない[3]

町の南部を東西に兵庫県道21号神戸明石線、中部を南北に65号神戸加古川姫路線488号長坂垂水線が通っている。また、町内に第二神明道路阪神高速5号湾岸線神戸淡路鳴門自動車道第二神明北線が通り、名谷インターチェンジ垂水インターチェンジが設置されている。阪神高速5号湾岸線・神戸淡路鳴門自動車道・第二神明北線を接続する垂水ジャンクションが西部にあり、これは日本最大のジャンクションである。
河川

福田川 - 地域内を南北に流れる二級河川。
須磨区白川峠西南斜面を源流として垂水海岸まで至る。

小字

名谷町は住居表示未実施であり、小字が残っている。以下に現在の各地区ごとの小字を示す[4]

西名

入野

押戸

猿倉

堂面

中坊

平ノ垣内

前田

丸尾



東名

権行司

古蔵

室山

社谷





後谷

大谷

桜ケ谷

寺池

西ノ子

横尾



中山

阿弥陀坊

柄立原

奥之坊

加市

垣ノ内

春日手

北野

高曽

梨原

湯屋谷



奥畑

市ノ子

賀市

北野屋敷

向井畑


歴史

中山地区西北端にある高塚山に、古墳時代末期の円墳が多数見つかっており、この時代には人が生活していたことが伺える[5]。転法輪寺から太山寺への高塚山を通る道に沿って、多数の横穴式円墳が残っており、古墳時代の土師器、須恵器の破片が出土している。また、中山、奥畑両地区からは6世紀ごろの古墳、鏡が多数出土している[5]大化の改新が起こった645年(大化元年)に、畿内の西端が鉢伏山南端と決められ、名谷は播磨国の東端となった。8世紀中ごろの奈良時代に、東大寺荘園となり、垂水荘に属した。龍華山転法輪寺の寺伝によれば、806年(大同元年)に在原行平平城天皇の病気の平癒を願って中山村に同寺を開基し、本尊・五智如来を安置したという[6]。また、滑村の龍華山明王寺も同年の開基と伝える。1184年(寿永3年/治承8年)3月20日の一ノ谷の戦いの前に、源義経が奥畑村の奥畑大歳神社で戦勝祈願の参拝をしたという言い伝えが残っている[7]1375年(天授元年/永和元年)に悦叟大和尚が奥畑村に円通山石水寺を開基した[8]

明治初年に西名、東名、滑、中山、奥畑の各村が合併して明石郡名谷村となった[9]1873年(明治6年)奥畑地区に名渓小学校、中山、滑、西名、東名の各地区に龍華小学校が開校された[10]1889年(明治22年)の町村制施行に伴って、東垂水、西垂水、塩屋、山田、下畑、多聞の各村と共に合併し明石郡垂水村となった[9]。この時に名谷は垂水村の大字となった[9]1928年(昭和3年)に垂水村に町制が敷かれ、明石郡垂水町となった[9]1941年(昭和16年)に垂水町は神戸市須磨区に編入され、この時に名前に町を付け神戸市須磨区名谷町となった[9]1946年(昭和21年)に垂水区が須磨区から分区され、神戸市垂水区名谷町となる[9]1977年(昭和52年)に神戸市立垂水中学校から分離独立して神戸市立福田中学校が開校した[11]

須磨ニュータウン、西神流通業務団地、神戸総合運動公園の開発に伴い、1969年(昭和44年)、1973年(昭和48年)、1977年(昭和52年)、1985年(昭和60年)に奥畑地区の一部を須磨区に編入した[9]神戸市営地下鉄西神・山手線名谷駅周辺(須磨区中落合)はかつて奥畑地区の北端の丘陵地だったが、現在では駅周辺の地域に造成された団地を指す地名としての「名谷」の方が有名となってしまった[4]。他都市の人から、「なだにちょう」、「なやちょう」、「みょうやちょう」などと間違えて読まれることもある[要出典]。


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