名誉勲章
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名誉勲章


左から順に陸軍海軍空軍
アメリカ合衆国による賞

種別メダル
受章資格軍人のみ
受章条件戦闘においてその義務を超えた勇敢な行為をし若しくは自己犠牲を示したアメリカ軍人
状態運用中
歴史・統計
創設1861年
初授与南北戦争(1863年3月25日)
総授与数3,525人
死後追贈者618人
受章者3,511人
序列
上位無し
下位陸軍 - 殊勲十字章
海軍 - 海軍十字章
海兵隊 - 海軍十字章
空軍 - 空軍十字章

名誉勲章(めいよくんしょう、英語: Medal of Honor)は、アメリカ軍の勲章において最高位の勲章である。アメリカ合衆国軍人大統領から直接授与されるものである。「議会の名において」授与されることから議会名誉勲章(Congressional Medal of Honor)とも言う。多くは大統領感状も同時に授与される。
概要

授章基準及び対象は、「戦闘においてその義務を超えた勇敢な行為をし、若しくは自己犠牲を示したアメリカ軍人」とされている。

メダル部分のデザインが陸軍、海軍、空軍で異なっており、海兵隊と沿岸警備隊には独自のデザインがなく、海軍の物が使用される。

1861年に海軍・海兵隊用が、翌1862年に陸軍用が制定されて以来、現在に至るまで2回受章した19人を含む、約3,400人が受章している。

名誉勲章受章者には、毎月一定額の手当、退職金の割増し、特別旅行など、数々の恩典が与えられ、その階級に関係なく先に敬礼をされる特権を常に有する。

対象人物は軍装時・礼装時には名誉勲章を佩用するので一目で分かる。
陸軍用勲章の変遷

1862年

1896年

1904年

主な受章者受章者のバーニー・F・ハジロ(左)とシズヤ・ハヤシ(中央)詳細は「名誉勲章受章者の一覧」を参照

3,444名に対して3,463個が授与された。19名が二度受章している。この内14名が別々の行動に対してそれぞれ授与されている。5名は一つの行動に対して海軍及び陸軍から授与された。第二次世界大戦以降852個が授与され、この内526個は死後に授与されている。合計では616個が死後の授与となっている。

第1号受章者は南北戦争でのアンドリュース攻撃に参加したジェイコブ・パロット(英語版)(この当時は陸軍のみ)。

唯一の女性受章者は南北戦争の軍医であったメアリー・エドワーズ・ウォーカーであるが、彼女の勲章は1917年に他の非戦闘章に合わせて無効にされた。しかしながら1977年にジミー・カーター大統領によって有効とされた。

1918年に定められた現行規定では、アメリカ軍に所属する者で無ければ受章できないと明示されているが、例外も存在する。たとえば、メアリー・ウォーカーは軍との契約で働いていた。また、チャールズ・リンドバーグはアメリカ陸軍航空隊の予備役であったが、受章は民間パイロットとしてであった。加えて、1921年10月17日にはパーシング将軍によってイギリス軍無名兵士に授与された。その後アメリカ軍の無名兵士には1921年11月11日にヴィクトリア十字章が授与されている。これらの例外を除くと名誉勲章はアメリカ軍人に授与される。これに国籍は関係ない。61名のカナダ人が名誉勲章を授与され、その大半は南北戦争中の功績に対するものであった。1900年以降は4名のカナダ人に授与されている。ベトナム戦争ではピーター・C・レモン(英語版)だけがカナダ人の受章者であった。

1973年のベトナム撤退から2010年までの37年間、戦死者への授与(追贈)のみとなっていた。例えば、ランディ・シュガート一等軍曹とゲイリー・ゴードン曹長の2人(いずれも陸軍デルタフォース所属)は、1993年のモガディシュの戦闘で墜落したUH-60 ブラックホークのパイロット、マイケル・デュラント(英語版)陸軍准尉の救助活動中に戦死し、その功績に対して授与された。また、イラクの自由作戦において初の名誉勲章受章者となったポール・R・スミス一等軍曹は、同作戦展開中の2003年4月、バグダッド国際空港での攻防戦において負傷者の撤退を支援するため、ほぼ単独で50名以上のイラク兵を倒した功績に対して授与された。ジェイソン・ダンハム(英語版)伍長は2004年4月、敵から投げつけられた手榴弾の爆発から僚友を救うために、とっさの判断で手榴弾にヘルメットを被せ、その上に自分自身の体を乗せることで爆発の拡大を防いで戦死、その功績に対して2007年1月11日にジョージ・W・ブッシュ大統領より授与された。

2007年2月26日にはブルース・P・クランダル中佐に授与された。クランダルの功績はメル・ギブソン主演の映画『ワンス・アンド・フォーエバー』で描かれ、作中でクランダル役はグレッグ・キニアによって演じられた。その後2007年10月22日にNavy SEALs隊員マイケル・マーフィ(英語版)大尉に授与された。マーフィ大尉は2005年6月にアフガニスタンで決行されたレッドウィング作戦において100名前後のターリバーン勢の攻撃を受けた中で仲間を生還させるために奮闘、その功績に対して授与された。彼の名はアメリカ海軍アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の62番艦が「マイケル・マーフィー」と命名され残されている。

2010年11月16日にアフガニスタン戦争における功績で受章したサルヴァトーレ・ジュンタ二等軍曹は、1973年のベトナム撤退以来、37年ぶりの生存者受章であった。2011年9月の受章者であるダコタ・メイヤー海兵隊軍曹以来、さらに11名の存命中の受賞者が名誉勲章を授与されている。(陸軍に12名、海軍に3名、海兵隊に2名、米空軍に1名)

ジェイコブ・パロット(英語版) - 最初の受章者。南北戦争時に南軍の鉄道を破壊した。

アレクサンダー・S・ウェブ - 南北戦争の北部同盟将軍。

アーサー・マッカーサー・ジュニア - 南北戦争での功績。

ダグラス・マッカーサー - 太平洋戦争での功績。

ジミー・ドーリットル - 東京初空襲の指揮官。

ジョン・バジロン - 海兵隊の一等軍曹。ガダルカナル島の戦いで日本軍の総攻撃に対し15名の劣勢で3日間、3000名の攻撃から防衛線を守った功績。

リチャード・ボング - アメリカ全軍を通しての最高記録を持つエース・パイロット

セオドア・ルーズベルト - 第26代アメリカ合衆国大統領

ダニエル・イノウエ - 第442連隊戦闘団所属の日系人、アメリカ合衆国上院議員、元・上院仮議長

サダオ・ムネモリ - 第442連隊戦闘団所属の日系人。同連隊最古参の兵士で、士官に昇進してもおかしくない功績を立てたが、二等兵として最前線で戦うことを選んだ。バッファロー部隊の援軍として参加したゴシックライン(英語版)の戦闘で、ドイツ軍が塹壕内に投げ入れた手榴弾に対し、塹壕にいた部下を救うためとっさに自らの体を覆い被せ戦死した。


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