名港中央大橋
基本情報
国 日本
所在地名古屋市
交差物件名古屋港
路線名国道302号(伊勢湾岸道路)
管理者中日本高速道路
建設日本道路公団
開通1998年3月30日
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度3分12秒 東経136度51分37秒 / 北緯35.05333度 東経136.86028度 / 35.05333; 136.86028
名港中央大橋(めいこうちゅうおうおおはし)は、伊勢湾岸自動車道伊勢湾岸道路の名港潮見IC(名古屋市港区潮見町)から名港中央IC(名古屋市港区金城ふ頭)の間にある橋梁。名古屋港を横断する名港トリトン(名港東大橋、名港中央大橋、名港西大橋)のひとつである[1]。 名港中央大橋(以下、中央大橋と表記)は名古屋港の人工島である金城ふ頭と潮見ふ頭に跨る橋長1170 m、中央径間590 mの鋼斜張橋である[2]。また、名古屋港を航行する大型船の航行を考慮して海上面47mの空間を確保するなど、支間長、高さ共に名港トリトンでは最大規模である。1989年12月に基礎工の施工に着手してから主桁の併合までに約7年を要した[3]。 中央大橋が架橋されている水域は中央部に北航路(水深12 m)が設定され、ここは潮見ふ頭や金城ふ頭に着離桟する大型船が相当数航行する[4]。北航路以外は小型船が航行し、1日あたり数百隻の船がここを通る[4]。名古屋港のメイン航路だけに大型船を通過させるだけの橋梁規模を有するのが中央大橋である。それは高さに限らず、北航路以外も航路であることから橋脚と主塔の間隔が非常に長く、本橋を特徴づける一要因となっている[5]。だが近年の大型クルーズ船の航行には高さが不足し、名古屋への観光客誘致の障害の一つになっている[6][7][8]。 本橋は3径間連続斜張橋であり、A形の2本の主塔とその両端の橋脚により構成される。本項では日本道路公団(現・NEXCO中日本)の呼称に従い[9]、金城ふ頭側の橋脚をP-1、同主塔をP-2、潮見ふ頭側主塔をP-3、同橋脚をP-4として記述する。また、建設省の資料に従って金城ふ頭と潮見ふ頭間の水域をB水域[10]と記述する。 名古屋港横断道路の構想は、1964年5月の名古屋港管理組合が策定した港湾計画に端を発し[11]、これが名古屋環状2号線に組み込まれて環状ルートの一部を形成するに至った[12]。やがては産業道路として混雑をきたす名四国道のバイパスとして豊田市と四日市市間に第二名四国道が計画され、この内の名四東IC(現・名古屋南JCT) - 飛島IC間で環状2号と並行することとされ、両道路を併せて往復10車線の道路となった。のちに事業費を圧縮するために両道路は統合されて往復6車線の道路となった。さらに第二名四国道(伊勢湾岸道路)は国と自治体の思惑が合致したことによって第二東名、第二名神高速道路の一部に組み込まれた[13][14]。 以上に見た経緯と連動して、名古屋港横断道路の構想は激しく変化した。1964年当初は「夢の大橋で結ぶ」と報道されたが[11]、しばらく経過すると大橋あるいはトンネル方式とされた[15]。
概要
橋種選択