この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "名幸一明"
名幸 一明2019年5月16日 横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本
出身地沖縄県那覇市
生年月日 (1968-10-19) 1968年10月19日(55歳)
身長
体重175 cm
71 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り1986年 ドラフト外
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
興南高等学校
横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ (1987 - 1995)
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。
名幸 一明(なこう かずあき、1968年10月19日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球審判員。審判員袖番号は10。 1986年オフ、興南高では1年秋に正捕手として県大会3位で出場した九州大会ベスト8。2年夏の県大会は決勝へ進むが沖縄水産に惜敗。秋は4番打ち、西岡洋、友利結とバッテリーを組んで決勝へ進むが再度、沖縄水産高と対戦して上原晃に完投されて敗退。3年春の県大会は決勝で延長18回引分けの後に再試合を制して優勝。夏は県大会決勝で沖縄水産高・上原の前に敗れた。友利結(ドラフト1位)とともにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。当初は大学進学を希望しており、入団は2月に決まった[1]。一軍公式戦への出場がないまま、1995年限りで現役を引退。チームに残り、ブルペン捕手を務めた。 退団後、ハリーウェンデルステッド審判学校を経て1998年にセントラル・リーグ審判部入局(東京勤務)。審判員袖番号はそれまで元審判部長の富澤宏哉が着けていた10番を引き継いだ[2]。 2008年にはオールスターゲームに初出場。2009年には審判員奨励賞を受賞するとともに、クライマックスシリーズ初出場を果たした。 2003年から2014年まで12年連続で日本プロ野球選手会が行っている「選手が選ぶ!ベストアンパイア」に選出されている[3][4]。なお、2010年まではセ・パそれぞれ1名がベストアンパイアに選出されていたが2004年以降全ての年度で名幸が両リーグ1位の得点を獲得している。また、2002年には規定未満のためにベストアンパイアには選ばれなかったもののセ・リーグベストアンパイアの友寄を上回る得点を獲得している。選手からは「初回から9回まで、ストライクとボールを同じ基準でとる」審判として評価されている。2014年には日本シリーズ(阪神対ソフトバンク戦)初出場を果たし、10月26日の第2戦(甲子園)で球審を務めた[5]。 2016年6月17日、セ・パ交流戦の読売ジャイアンツ(巨人)対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)で球審を務め、史上123人目となる通算1000試合出場を達成した[6]。
来歴・人物