名山町
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名山町
町丁
名山町に所在する三島村役場本庁舎
名山町鹿児島市の地図を表示名山町鹿児島県の地図を表示
北緯31度35分41.4秒 東経130度33分34.7秒 / 北緯31.594833度 東経130.559639度 / 31.594833; 130.559639
日本
都道府県鹿児島県
市町村鹿児島市
地域中央地域
地区中央地区
人口(2010年(平成22年)2月末現在)
 ? 合計354人
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号892-0821

飲食店が軒を連ねる名山堀

名山町(めいざんちょう Meizan-Ch?)は、鹿児島県鹿児島市町名。旧鹿児島市六日町、築町の全域及び易居町、山下町の一部。郵便番号は892-0821。人口は354人、世帯数は223世帯(2010年2月末現在)[1]。全域で住居表示を実施している。

「名山町」という町名は江戸期頃に付近にあった名山堀に由来している[2]
目次

1 地理

2 歴史

2.1 江戸期から町名整理実施まで

2.1.1 六日町

2.1.2 築町


2.2 町名整理実施以降

2.3 町名の変遷


3 施設

4 小・中学校の学区

5 交通

5.1 道路

5.2 鉄道


6 脚注

7 関連項目

地理

鹿児島市の中央部に位置する。町域の北方には易居町、南方には国道58号を挟んで泉町、西方には山下町、東方には本港新町にそれぞれ接している。

町域の南部を東西に国道58号が通っており、西部を南北に鹿児島県道204号鹿児島停車場線、北部を江戸期に阿蘇橋から北西の堀を連結するために建設された名山堀の跡であるみなと大通りが通っている[3]。また、本港新町建設前の海岸沿いを国鉄の貨物線が通っていたが、1984年に廃止された[3]

東端部には三島村役場本庁舎(日本でも数少ない自治体の区域外に所在する町村役場の一つ)が所在している。1946年2月2日に十島村のうち下七島がアメリカ合衆国統治下となり、日本国に残存した上三島は仮の十島村役場を同年2月28日に現在の名山町に設置、1951年の下七島の施政権が日本国へ返還されると当時に上三島は三島村と改称し、以後も名山町域内に役場を置いており、現存する日本の市町村では唯一、村の発足当初から一度も役場を自治体の区域内に設置したことの無い村となっている[4]
歴史
江戸期から町名整理実施まで

本項では江戸期より1965年(昭和40年)に行われた町名整理により、名山町の一部となった六日町、築町、易居町の一部、山下町の一部のうち全域が名山町に編入された六日町及び築町についても扱う。
六日町

六日町(むいかまち)は鹿児島市に1965年(昭和40年)まで存在していた町名である。江戸期は鹿児島城下上町のうちであった。1889年(明治22年)の市制施行に伴い、鹿児島市の町名「六日町」となった。大正期は鹿児島港に近い商業地域として賑わったとされる。

1965年(昭和40年)に住居表示が実施されるのに伴い町名整理が行われ、六日町の全域が名山町に編入され公称町名としては消滅した[5]
築町

築町(つきまち)は鹿児島市に1965年(昭和40年)まで存在していた町名である。安政頃に海岸の埋立てにより出来た地であり、鹿児島城下下町のうちであった。1879年(明治12年)に郡制が施行され、地内に鹿児島郡谿山郡日置郡熊毛郡馭謨郡(ごむぐん)の5郡を管理する郡役所が置かれた。

1889年(明治22年)の市制施行に伴い、鹿児島市の町名「築町」となり、1965年(昭和40年)に住居表示が実施されるのに伴い町名整理が行われ、築町の全域は名山町に編入され公称町名としては消滅した[6]
町名整理実施以降

1965年(昭和40年)に六日町、築町の全域及び、易居町山下町の各一部より、「名山町」が設置された[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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