名古屋市立大学
滝子(山の畑)キャンパス正門前
(2005年6月)
大学設置1950年
創立1884年
学校種別公立
設置者公立大学法人名古屋市立大学
本部所在地〒467-8601
愛知県名古屋市瑞穂区瑞穂町字川澄1番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度8分20.2秒 東経136度56分3.85秒 / 北緯35.138944度 東経136.9344028度 / 35.138944; 136.9344028
名古屋市立大学(なごやしりつだいがく、英語: Nagoya City University, NCU)は、愛知県名古屋市瑞穂区瑞穂町字川澄1番地に本部を置く日本の公立大学である。創立は1884年設置の名古屋薬学校が起源。1950年大学設置。略称は名市大(めいしだい)、市大(しだい)。 名古屋市を設立団体とし、公立大学法人名古屋市立大学が管理運営している[注釈 1]。1950年に旧制の名古屋女子医科大学と、新制の名古屋薬科大学を統合して設立された。 総合大学であり、8学部(医学部、薬学部、経済学部、人文社会学部、芸術工学部、看護学部、総合生命理学部、データサイエンス学部)と、大学院に7研究科(医学研究科、薬学研究科、経済学研究科、人間文化研究科、芸術工学研究科、看護学研究科、理学研究科)を有する。 名古屋市内出身者は約3割、市内を含む愛知県内出身者も6割程度であり、比較的広い地域から学生が集まっている[1]。特に入学試験を中期日程で行う薬学部と、類似学部・学科が少ない芸術工学部にその傾向が強く、いずれも県内出身者は半数以下である。
概観
大学全体
教育および研究
学風および特色
沿革
1949年 市議会において旧制名古屋女子医科大学(医学部、予科、旧制名古屋市立女子医学専門学校、附属高等厚生女学校および附属医院附属看護婦養成所)と新制名古屋薬科大学の合併を議決。
1950年 旧制名古屋市立大学医学部および新制名古屋市立大学薬学部発足、旧附属医院附属看護婦養成所廃止。
1951年 旧制名古屋市立女子医学専門学校・旧制名古屋女子医科大学予科を廃止、薬学部を愛知郡鳴海町から瑞穂区田辺通および萩山町(田辺通キャンパスから山崎川を挟んで対岸、名古屋市栄養専門学院(現在は廃止)と名古屋市衛生研究所の所在地)に移転。
1952年 新制医学部を設置。
1955年 教養部を設置。
1957年 高等厚生女学校を名古屋市立大学看護学校に改組。
1958年 医学部の瑞穂区瑞穂町川澄への移転を開始。
1961年 医学部の移転完了、旧制名古屋市立大学(医学部)を廃止。
1964年 経済学部を設置(瑞穂区瑞穂町川澄)。
1965年 経済学部と教養部を瑞穂区瑞穂町山の畑に移転。
1966年 医学部附属病院と看護学校を瑞穂区瑞穂通から瑞穂区瑞穂町川澄に移転。
1968年 名古屋市立看護専門学校を開校。
1970年 薬学部に製薬学科を設置。
1988年 名古屋市立大学看護学校に名古屋市立看護専門学校を統合し、名古屋市立大学看護短期大学部に改組。
1991年 経済学部に経営学科を設置し、経済学科・経営学科の2学科制になる。
1995年 名古屋市立保育短期大学と名古屋市立女子短期大学が名古屋市立大学との統合に伴い募集停止。
1996年 教養部を廃止し、人文社会学部(人間科学科、現代社会学科、国際文化学科)と芸術工学部(視覚情報デザイン学科、生活環境デザイン学科)を設置。
1995年 名古屋市立保育短期大学と名古屋市立女子短期大学を廃止。
1999年 名古屋市立大学看護短期大学部を改組して、看護学部を設置。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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