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名古屋市立城山中学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度9分43.196秒 東経136度57分33.077秒 / 北緯35.16199889度 東経136.95918806度 / 35.16199889; 136.95918806
名古屋市立城山中学校(なごやしりつ しろやまちゅうがっこう)は、愛知県名古屋市千種区西崎町にある公立中学校である。
1947年(昭和22年)の学区制により、千種区東部に城山中学校が創立された。一時期は生徒数が4200名を超えるマンモス校となり、その後、千種台中学校と東星中学校への分離独立を経て現在に至っている[3]。
城山中学校区は、尾張丘陵のうち東山丘陵と呼ばれる地帯の東端に位置し、 東山動植物園や平和公園など緑豊かな自然に囲まれた学区である。織田氏の居城であった末森城跡には城山八幡宮があり、校名もこの末森城に由来している[4]。 『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、生徒数の変遷は以下の通りである[7]。1947年(昭和22年)465人
歴史
沿革
1947年(昭和22年) - 田代小学校の8教室を借用し、名古屋市立城山中学校として創立[1]。
1949年(昭和24年) - 現在地において、新校舎が完成[1]。
1956年(昭和31年) - 分校(現千種台中学校)が竣工する[1]。
1961年(昭和36年) - 生徒数が4300人となり、当時日本一のマンモス校となる[1]。
1962年(昭和37年) - 分校が千種台中学校として分離独立する[1]。
1964年(昭和39年) - 体育館兼講堂が竣工する[1]。
1983年(昭和58年) - 体力づくり優良校として愛知県より表彰される[1]。
1991年(平成3年) - 東星中学校が分離独立する[1]。
1993年(平成5年) - 視聴覚室教育相学校教育部門で文部大臣賞を受賞する[1]。
1997年(平成9年) - 創立50周年記念碑が建立される[1]。
2003年(平成15年) - 校舎のバリアフリー化工事を行う[1]。
2005年(平成17年) - 制服をブレザーに変更した[1]。
2009年(平成21年) - 防災備蓄倉庫を設置した[1]。
2013年(平成25年) - 学校保健活動奨励賞を受賞する[1]。
2022年(令和4年)度 - 体育館にエアコンが整備される[5] [6]。
生徒数の変遷
1957年(昭和32年)3,088人
1967年(昭和42年)1,713人
1977年(昭和52年)1,719人
1987年(昭和62年)1,703人
1997年(平成9年)640人
2007年(平成19年)466人
2017年(平成29年)522人
歴代校長
初代:後藤祝二[1]
第2代:高橋時三[1]
第3代:芥子川律治[1]
第4代:中野霊智[1]
第5代:岡田良春[1]
第6代:櫻井敬一[1]
第7代:武藤正則[1]
第8代:見田実[1]
第9代:山本嘉之[1]
第10代:片桐邦朗[1]