出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年5月)
浄心営業所
名古屋市営バス浄心営業所(なごやしえいバスじょうしんえいぎょうしょ)は、愛知県名古屋市西区浄心1丁目1-6にある名古屋市営バスの営業所である。最寄のバス停留所は浄心町であり、主に名古屋駅発着路線や、基幹バス新出来町線、都心ループ系統、名古屋観光ルートバスメーグル、名古屋市内の中心部を走る路線、西区南部の路線を担当している。
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2009年(平成21年)4月1日より、三重交通への5年契約の管理委託が行われる。2014年(平成26年)4月1日5年間の委託契約延長となる。[要出典]2014年(平成26年)4月1日、楠分所を新設[1]。 名古屋市電の浄心車庫を拡張し設置された営業所(自動車車庫)であり、市営バス開業直後の1930年(昭和5年)4月から存在している。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年8月) 本系統は、名古屋駅および栄から出来町通(愛知県道215号田籾名古屋線)を経由し、千種区北東部および名東区猪子石地区を結ぶ基幹バス路線である。地下鉄東山線と名鉄瀬戸線の間の鉄道空白地帯を経由するため、本数、利用者数とも他の市バス路線に比べて多い。そのため、営業係数は2015年度は94、2017年度は93と黒字経営を保つ。2019年度は年度末にコロナの流行が起こったことにより通学利用が激減したため赤字転落した。2021年度時点でも赤字経営が続いており、コロナ禍でも減便をほとんど行わなかったために1億円を超える赤字を出している。 当系統は、名古屋市2本目の基幹バス・新出来町線として、1985年(昭和60年)に次の路線を整理統合して登場した。
沿革
年表
1930年(昭和5年)
2月1日 : 市営バス運行開始に際して大池臨時出張所を開設[2]。
4月9日 : 大池臨時出張所を移設し、浄心自動車出張所を開設[2]。
1931年(昭和6年)12月10日 : 那古野派出所開設[2]。
1932年(昭和7年)4月18日 : 那古野派出所が那古野自動車出張所として独立[2](のちの那古野自動車運輸事務所、那古野営業所の前身)。
1939年(昭和14年)10月1日 : 浄心自動車運輸事務所に改称[3]。
1941年(昭和16年)8月6日 : 那古野自動車運輸事務所を那古野分所として所管。
1944年(昭和19年)3月1日 : 那古野分所が自動車運輸事務所として独立。
1949年(昭和24年)12月1日 : 浄心・那古野自動車運輸事務所を統合し、西自動車運輸事務所が発足。
1954年(昭和29年)2月25日 : 西自動車運輸事務所が廃止され、浄心自動車運輸事務所が再発足。
1958年(昭和33年)5月26日 : 浄心自動車運輸事務所が移転し、北自動車運輸事務所(のちの北営業所
1960年(昭和35年)8月1日 : 那古野自動車運輸事務所浄心分所として再設置[4]。
1963年(昭和38年)2月1日 : 浄心分所が浄心自動車運輸事務所に昇格[4]。
1982年(昭和57年)12月1日 : 浄心営業所に改称[5]。
2009年(平成21年)4月1日 : 管理・運行を三重交通へ委託。[要出典]
2014年(平成26年)4月1日 : 三重交通名古屋観光営業所(北区玄馬町)に、楠分所を開設[1]。
2019年(平成31年)4月1日 - 楠分所が楠営業所として独立、昇格。
主担当路線
基幹2号系統「基幹バス (名古屋市)#基幹2号系統(新出来町線)・名鉄バス本地ヶ原線」も参照
起点主な経由地終点副担当備考
本栄---市役所徳川園新出来茶屋ヶ坂香流橋東---引山猪高
大森浄心、大森担当便のみの運行
出入引山四軒家大森営業所担当便のみの運行
支名古屋駅桜通本町自由ヶ丘三光ヶ丘猪高車庫浄心、猪高担当便のみの運行
概要
沿革
〔16〕(名古屋駅前 - 市役所 - 古出来町 - 茶屋ヶ坂 - 自由ヶ丘(現・千種台中学校))
〔70〕(栄 - 今池 - 池下 - 末盛通二丁目 - 谷口 - 茶屋ヶ坂 - 竹越 - 猪子石西原)