この項目では、愛知県名古屋市にある徳川家康によって築城された城について説明しています。
徳川築城より以前の今川義元築城の城については「那古野城」をご覧ください。
佐賀県唐津市にあった名護屋城については「名護屋城」をご覧ください。
千葉県成田市にあった城については「名古屋城 (下総国)」をご覧ください。
かつて市役所駅を名乗っていた名古屋市営地下鉄名城線の駅については「名古屋城駅」をご覧ください。
logo名古屋城
(愛知県)
本丸御殿(木造復元)と奥に大小天守(外観復元)
別名金鯱城、金城、柳城、亀屋城、蓬左城
城郭構造梯郭式(または輪郭式)平城
天守構造連結式層塔型5層5階地下1階
1612年築 (非現存)
1959年(SRC造・外観復元)
築城主徳川家康
築城年慶長14年(1609年)
主な改修者名古屋城再建委員会
主な城主尾張徳川家
廃城年1871年(明治4年)
遺構櫓、門、土塀、庭園、石垣、堀
指定文化財国の重要文化財(櫓3棟、門3棟)[1][2][3][4][5][6]
再建造物外観復元大小天守、外観復元正門、不明門、本丸御殿
位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度11分7.77秒 東経136度53分56.71秒 / 北緯35.1854917度 東経136.8990861度 / 35.1854917; 136.8990861
座標: 北緯35度11分7.77秒 東経136度53分56.71秒 / 北緯35.1854917度 東経136.8990861度 / 35.1854917; 136.8990861名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現愛知県名古屋市中区本丸・北区名城)[7]にある日本の城。「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」の異名を持つ。日本100名城に選定されており、国の特別史跡に指定されている。名古屋城の空中写真(2020年撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
概要東南隅櫓から見た大小天守と本丸御殿。2018年4月水堀
名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏築城の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が天下普請によって築城した。以降明治維新まで徳川御三家の筆頭とされる尾張徳川家17代の居城だった。
大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、伊勢音頭では「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と詠われている。大天守に上げられた金鯱は城だけでなく名古屋の街の象徴である。本丸御殿は元離宮二条城の国宝・二の丸御殿と並ぶ武家風書院造城郭御殿の双璧と評価されていた[8]。
大小天守、本丸御殿の一部は昭和戦前期まで残存していたが、1945年の名古屋大空襲で大部分を焼失した(西南隅櫓など6棟は焼失を免れて現存している[9])。戦後に天守、門が鉄筋コンクリートで外観復元され、城跡は名城公園の南園として整備されている。
現在、名古屋城の全体整備計画があり、整備計画では史跡としての名古屋城の保存活用と価値を高めたいとしている。2023年現在、計画されている整備計画では、天守閣の木造復元の整備、東北隅櫓の復元整備、本丸表一之門と本丸東一之門と本丸東ニ之門と二之丸の門、二の丸大手ニの門渡櫓の復元、馬出の復元、本丸多聞櫓の復元、二之丸庭園の保存整備と二之丸御殿及び向屋敷の復元整備、大手門・東門、埋御門と二之丸の櫓の復元整備、展示収蔵施設の整備、御園御門、清水御門、東御門の復元整備、石垣補修などである[10][11]。
歴史・沿革
戦国時代「那古野城」も参照