名古屋国際女子マラソン
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名古屋国際女子マラソン
開催地
日本名古屋市
開催時期3月
種類ロードコース
距離マラソン
最高記録高橋尚子 2:22:19
創立1980年
終了2010年
スポンサーメナード化粧品
公式サイト ⇒名古屋国際女子マラソン大会
プロジェクト:スポーツテンプレート

名古屋国際女子マラソン(なごやこくさいじょしマラソン、英語: NAGOYA INTERNATIONAL WOMEN'S MARATHON)は、2010年まで毎年3月愛知県名古屋市で行われたマラソン大会である。目次

1 概要

2 参加資格

3 歴代優勝者

4 協賛企業

5 大会公式ソング

6 テレビ・ラジオによる中継体制

6.1 テレビ

6.2 ラジオ


7 競技制限

8 脚注

9 外部リンク

概要

1980年に20kmロードレース大会としてスタート。東海テレビによると、当初は豊橋市で行われ、名古屋に移ったのは1982年(名称が『中日名古屋スピードマラソン』に変更される)であるという。その後、1984年にフルマラソン大会へと格上げされ、同時に名称を『国際招待名古屋女子マラソン』に変更されるが、翌1985年から現在の名称が使用される。

コースは瑞穂陸上競技場を発着地として名古屋城を周回する42.195kmで争われ、東京国際女子マラソン・のち横浜国際女子マラソンや、大阪国際女子マラソンと同様に、市内の名所を通る。代表的な場所はナゴヤドーム久屋大通公園そして折り返し地点となる名古屋城等が挙げられる。

2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリスト高橋尚子2009年は引退レースとして一般参加)、2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきは共にこの大会の優勝者として名が刻まれている。名古屋から4大会連続でオリンピック女子マラソン代表(1996年真木和、2000年高橋尚子、2004年土佐礼子、2008年中村友梨香)を輩出している。また、2000年大会以降は日本の選手が優勝しているほか、大阪と異なり、通算で3回以上優勝した選手がいない。

その年にオリンピック世界陸上選手権アジア競技大会が行われる場合、その女子マラソンの最終代表選考会として位置づけられている。1994年びわ湖毎日マラソン[1]と当大会の日程が入れ替わってからは、当大会がスケジュール的に男女を通じてマラソンの最後の選考会となるため、当大会の翌日に男女揃って代表選手が発表されることが多い[2]

2011年は3月13日に第32回大会を実施する予定であったが、前々日の3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)のため中止となった[3]。翌2012年からは名古屋国際女子マラソンは「名古屋ウィメンズマラソン」に模様替えし、ハーフマラソン名古屋シティマラソンとの同時開催の形式となる「マラソンフェスティバル ナゴヤ・愛知」の一部となり、女子のエリート選手と市民ランナーによるフルマラソン競技として実施されることになった。このため、「名古屋国際女子マラソン」としての開催は実質2010年の大会が最後である。

主催 日本陸上競技連盟中日新聞社(名古屋本社)

主管 愛知陸上競技協会

後援 愛知県名古屋市愛知県教育委員会名古屋市教育委員会東海テレビ放送、AIMS

協賛 日本メナード化粧品メナード化粧品は、テレビ中継のメインスポンサーにもなっている地元企業である。

参加資格

大会当日の時点で
満年齢が19歳以上である女子

日本陸連が指定した期日以降に、陸連公認のマラソン等に出場し、陸連が定める一定以上の記録を保持している者

マラソン - 3時間15分以内

30km - 2時間13分以内

ハーフマラソン - 1時間30分以内

20km - 1時間25分以内

10km - 38分以内


日本陸上競技連盟が認める競技者

歴代優勝者

※優勝者の氏名・国籍・所属は当時のものである。

 日付氏名国籍・所属記録備考
1
1980年3月9日佐々木七恵岩手県立盲学校1時間16分10秒20kmロードレース大会
21981年3月8日田中三恵大阪体育大学1時間17分50秒 
31982年3月7日キャシー・トゥーミー アメリカ合衆国1時間06分52秒20kmの世界最高記録
41983年2月27日エレン・ハート アメリカ合衆国1時間08分58秒 
51984年3月4日グレニス・クイック(英語版) ニュージーランド2時間34分25秒この回からフルマラソン大会
61985年3月3日佐々木七恵エスビー食品2時間33分57秒 
71986年3月2日カトリン・ドーレ 東ドイツ2時間29分33秒 
81987年3月1日カーラ・ビュースケンス(英語版) オランダ2時間28分27秒 
91988年3月6日趙友鳳 中国2時間27分56秒 
101989年3月5日趙友鳳 中国2時間28分20秒 
111990年3月4日ワンダ・パンフィル ポーランド2時間31分04秒 
121991年3月3日山下佐知子京セラ2時間31分02秒 
131992年3月1日大江光子日本生命2時間31分04秒 
141993年3月7日カミラ・グラデュス(英語版) ポーランド2時間27分38秒マラソンコースを大幅に変更
151994年3月13日浅井えり子NEC・HE2時間30分30秒 
161995年3月12日カミラ・グラデュス ポーランド2時間27分29秒 
171996年3月10日真木和ワコール2時間27分32秒 
181997年3月9日マディナ・ビクタギロワ(英語版) ベラルーシ2時間29分30秒 
191998年3月8日高橋尚子積水化学2時間25分48秒日本最高記録
201999年3月14日リュボフ・モルグノワ(英語版) ロシア2時間27分43秒マラソンコースの一部を変更
212000年3月12日高橋尚子積水化学2時間22分19秒大会記録
222001年3月11日松尾和美天満屋2時間26分01秒 
232002年3月10日野口みずきグローバリー2時間25分35秒 
242003年3月9日大南敬美UFJ銀行2時間25分03秒 
252004年3月14日土佐礼子三井住友海上2時間23分57秒 
262005年3月13日原裕美子京セラ2時間24分19秒 
272006年3月12日弘山晴美資生堂2時間23分26秒18.4km地点関門閉鎖実施
282007年3月11日橋本康子セガサミー2時間28分49秒 
292008年3月9日中村友梨香天満屋2時間25分51秒 
302009年3月8日藤永佳子資生堂2時間28分13秒 
312010年3月14日加納由理セカンドウィンドAC2時間27分11秒 
322011年3月13日大会中止[4] 

協賛企業

日本生命(?1999年・冠スポンサー/2000年・2001年・2008年は筆頭スポンサー)

メナード化粧品(2000年?冠スポンサー)

トヨタ自動車(1992年?車両協力/2002年からは筆頭スポンサー)

キリンビール

キリンビバレッジ

セイコー(計時協力)

JR東海

大会公式ソング

2004年?2006年:「Chance!」(
BREATH

テレビ・ラジオによる中継体制
テレビ

東海テレビを制作局としてFNS系列28局ネットで全国放送する。

中継は看板スポーツアナを中心とした東海テレビのアナウンサーが担当する。メイン実況は森脇淳(2004年から)。かつては吉村功が定年退職後も2005年(2004年・2005年は競技場実況)まで務め、2006年からは吉村が担当していた競技場実況を小田島卓生にバトンタッチした。

大会当日は、中京競馬場中央競馬が開催され[5]、東海テレビでは自社制作している。以前は東海テレビもアナウンサー4人体制だったが、マラソン中継などのあおりを受け、斉藤誠征加藤晃の2人体制となった[6]


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