名人_(将棋)
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この項目では、将棋棋士の称号「名人」について説明しています。

名人位を争う将棋のタイトル棋戦については「名人戦_(将棋)」をご覧ください。

名人への挑戦者を決める将棋棋戦については「順位戦」をご覧ください。

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出典検索?: "名人" 将棋 ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2007年8月)

将棋における名人(めいじん)は、棋士の称号の一つである。江戸時代1612年から昭和1937年までは将棋界の最高権威者に与えられた終身位であり、棋界の近代化にあたって短期実力制へ移行した昭和12年(1937年)以降は名人戦におけるタイトル称号となっている。女流名人アマチュア棋戦の「名人」はそれぞれを参照。
概要

囲碁界と将棋界において用いられている「名人」という称号の起源は織田信長が任命した一世本因坊本因坊算砂(日海)といわれる[注釈 1]。算砂はのちに徳川幕府の初代囲碁将棋統括最高位である連絡係に命じられたという。これが現在も各方面で常用される「名人」という言葉の起こりとされることがあるが、ただし、増川宏一『将棋II』(法政大学出版局)によると、鎌倉時代の『二中歴』にはすでに、囲碁と雙六の名人についての記述があるという。

その後、将棋の名人については大きく3つの時代に分けられる。
江戸時代将棋指し家元の第一人者が名乗った称号(一世?十世)。徳川家康主導の下、慶長17年(1612年)、初代大橋宗桂(大橋本家)俸禄を与えられ、初めて将棋所を任されることになったとされる[注釈 2]。それまでは本因坊算砂の碁将棋所が「将棋所」を呼称していたともいわれる[注釈 3]。以降、大橋家本家、大橋家分家伊藤家の三家の最強者が「名人」「将棋所」を名乗る家元名人制が確立する[注釈 4]。この時代は、名人とは九段であった。なお、八段は「準名人」、七段は「上手(じょうず)」と呼ばれた。江戸幕府の瓦解とともに、将棋家元名人制は終焉を迎えた。

明治大正昭和初期においては将棋界の年功ある実力者が推挙されて名乗った名誉称号(十一世?十三世)。この時代も、名人とは九段であった。しかし、昭和10年(1935年)に十三世名人関根金次郎が退隠する考えを表明したことで、日本将棋連盟が実力制名人戦の開催を決定。昭和12年(1937年)12月6日に木村義雄が第1期名人戦の優勝者となる。昭和13年(1938年)2月11日に関根金次郎は名人位を返上し、木村が名人位につく。これにより家元名人制時代から続いていた一世名人制が廃止され、短期実力制名人戦へ移行した。

昭和13年(1938年)以降の現代においてはプロ棋戦タイトル戦)の1つである名人戦の勝者の棋士が推戴される称号であり、次期名人戦終了まで名乗ることができる。名人位の初獲得順に「実力制第○代名人」と称する。順位戦が導入された昭和22年(1947年)以降、名人戦で戦うにはその前に、基本的にAクラスまで昇級しなければいけなくなった。当初は順位戦リーグは3クラス制(A,B,C)であり(なおかつ、B級優勝者も挑戦者決定戦に参加できた時期があった)、のちに5クラス制(A,B1,B2,C1,C2)が定着したため名人位に就くには棋士になってから最短で5年かかる。
前期名人戦の勝者の棋士が今期名人戦に敗れると前名人となり、ほかにタイトルを持っていない場合に、次期名人戦終了まではタイトルに準ずる称号として「前名人」と名乗る資格が与えられていた。(「前名人」の称号は、本人の意向により辞退することができた。)ただし、当初は「前名人」と名乗れる期間が1年間に限られておらず、最初の「前名人」である木村義雄は第六期名人戦で敗れて、翌々年の第八期に名人復位するまで「前名人」の称号であった。二人目の「前名人」である塚田正夫も第八期名人戦で木村に敗れた後、大山康晴の名人奪取・塚田自身の九段位取得の昭和27年(1952年)まで「前名人」の称号のままであった。木村・塚田以降は、大山康晴・中原誠・加藤一二三・谷川浩司が前名人を称したものの、米長邦雄が平成6年(1994年)に羽生善治に名人位を奪われ「前名人」を名乗ったのを最後に前名人の称号を名乗る棋士がおらず、令和2年(2020年)に竜王戦の「前竜王」とともに前名人の称号を廃止した。

通算5回名人戦の勝者になった棋士に「永世名人」の資格が与えられ、原則引退後に襲位することができる(十四世?)。


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