このページ名「同盟90」は暫定的なものです。(2018年8月)
同盟90(ドイツ語: Bundnis 90, B90)は、東ドイツ(のちドイツ)に存在した政党連合。その後、緑の党と合併し、同盟90/緑の党となった。日本語では「90年連合」、「連合90年」などと訳される場合もある。 東ドイツ最初の(そしてドイツ再統一に伴って最後の)自由選挙となった1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙に臨むため、前年の東ドイツ民主化・ベルリンの壁崩壊の過程で結成され、大きな役割を果たした新フォーラム(Neue Forum
目次
1 東ドイツ民主化にて
2 ドイツ再統一時の動き
3 緑の党との合流
4 主な選挙での党勢推移
4.1 1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙
4.2 ドイツ連邦共和国連邦議会議員選挙[3]
5 脚注・出典
6 関連項目
7 参考文献・外部リンク
東ドイツ民主化にて
ドイツ再統一後、最初に行われた1990年連邦議会選挙においては、旧東西ドイツで別々に5%阻止条項が適用されたため、緑の党と統一名簿を組んで立候補した同盟90は連邦レベルでは1.2%の得票率だったが、旧東ドイツでは6.1%を獲得し辛うじて5%を突破したため8議席を獲得した(しかし、この選挙で西側の緑の党は5%にわずかに及ばず、全議席を失っている)。 その後、1991年9月21日に同盟90は創設メンバーとなった3つの市民団体が正式に合流して政党となった。政党としては基本的に緑の党と共同歩調を歩んだ。そして1993年5月14日に緑の党(当時、西側からは連邦議会に議席を持っていなかった)と合流して、現在の同盟90/緑の党となった[1]。しかし、こうした政党化をよしとせず、これに加わらずに地域活動やNGO活動に移った者もいる[2]。 選挙年月日得票(政党票)議席数 選挙年月日得票(政党票)議席数選挙区
緑の党との合流
主な選挙での党勢推移
1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙
得票数%
1990年選挙(東独)1990年3月18日336,0742.912
出典:山田徹著『東ドイツ・体制崩壊の政治過程』(日本評論社)380頁、表12-1「選挙結果:各党の得票・議席数」より引用。
ドイツ連邦共和国連邦議会議員選挙[3]
得票数%
1990年選挙(統一ドイツ)1990年12月2日559,2071.2[4]80
出典: ⇒Bundestagswahlen。
脚注・出典^ この際、東西の党員数は非常に不均衡だったため、代議員の配分などで同盟90側に大きく配慮されたという。 ⇒[1]
^ ⇒若林ひとみの文京区議会便り 号外 1998年 新春
^ 東ドイツ緑の党との統一名簿で参加。議席配分は同盟90が6議席、緑の党が2議席。
^ 旧東ドイツ部分では6.1%
関連項目
ヨアヒム・ガウク - 2012年に選出されたドイツの大統領。東独時代の一時期、所属していた。
マティアス・プラツェック - ドイツ社会民主党に移る前に所属していた。
参考文献・外部リンク
⇒Chronik der Wende:Bundnis 90
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連邦議会に議席有
ドイツキリスト教民主同盟(CDU)/キリスト教社会同盟(CSU)
ドイツ社会民主党(SPD)
ドイツのための選択肢(AfD)
自由民主党(FDP)
左翼党(Linke)
同盟90/緑の党(B'90/Grune)
青の党(ドイツ語版)(Die Blauen)
欧州議会に議席有
ドイツキリスト教民主同盟(CDU)/キリスト教社会同盟(CSU)