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同志社女子大学
京田辺キャンパス友和館(2010年6月)
大学設置1949年
創立1876年
学校種別私立
設置者学校法人同志社
本部所在地京都府京田辺市興戸
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度48分13.5秒 東経135度46分18.6秒 / 北緯34.803750度 東経135.771833度 / 34.803750; 135.771833座標: 北緯34度48分13.5秒 東経135度46分18.6秒 / 北緯34.803750度 東経135.771833度 / 34.803750; 135.771833
キャンパス京田辺(京都府京田辺市)
今出川(京都府京都市上京区)
学部学芸学部
現代社会学部
薬学部
表象文化学部
生活科学部
看護学部
研究科文学研究科
国際社会システム研究科
薬学研究科
生活科学研究科
ウェブサイトhttps://www.dwc.doshisha.ac.jp/
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同志社女子大学(どうししゃじょしだいがく、英語: Doshisha Women's College of Liberal Arts)は、京都府京田辺市興戸に本部を置く日本の私立大学。1876年創立、1949年大学設置。略称は同女(どうじょ)、同女大(どうじょだい)、DWCLA。 同志社英学校(現・同志社大学)を創立した新島襄によって1876年(明治9年)に開設された女子塾を起源とする[1]。第二次世界大戦後の学制改革に従い、1949年(昭和24年)に、それまでの旧制女子専門学校を母体に設置されたプロテスタント系の女子大学で、新制大学設立準備委員長として、1929年(昭和4年)から同志社に奉職していた女性教授エスター・ローウェル・ヒバード
概観
大学全体
キャンパスは、京都郊外の関西学研都市エリア内に広大な敷地を持つ京田辺キャンパスと、京都市の中心部に位置する今出川キャンパスの2ヶ所がある。今出川キャンパスの敷地は京都御所の北どなりに位置し、明治時代初期までは伏見宮家(皇族)と二条家(五摂家の一つ)の邸宅が建っていた由緒ある土地柄である。 1949年(昭和24年)2月17日制定の『同志社女子大学学則』では、「キリスト教主義」を基本に、「国際主義」、「リベラル・アーツ」を教育理念として定めている。 リベラル・アーツを教育の柱に据えており、大学の英称も「Doshisha Women's College of Liberal Arts(略称:D.W.C.L.A.)」とした。 専門分野の研究はもちろん、他学科科目も履修可能な柔軟なカリキュラム構成をとっており、幅広い教養を身につけ社会で活躍できる女性の育成をめざしている。 近年では管理栄養士、薬剤師、小学校教員採用試験においても、全国トップクラスの合格率を誇っている。また、2015年に新設された看護学部は、組織の連続性はないものの、1886年(明治19年)に京都看病婦学校・同志社病院を開設した新島襄の「遺志を受け継ぐもの」とされる[5]。 2009年度から学芸学部英語英文学科と日本語日本文学科を表象文化学部として改組し、京都御所に隣接する今出川キャンパスに移転した。今出川キャンパスの周囲には宮家の一つである桂宮家本邸(桂離宮は別邸)跡や尼門跡寺院である大聖寺門跡・三時知恩寺門跡・光照院門跡など数多くの旧跡が残り、気軽に公家文化に触れることが出来る環境である。 1876年(明治9年) 、京都御苑内の旧柳原邸内のJ.D.デイヴィス宅に設立された女子塾(後の同志社女学校)を前身とする[6]。二條家邸跡石碑 開学当初は、寄宿学校であったことから「Kioto Home(京都ホーム)」と呼ばれた[7]。 新島襄は女子教育の重要性を当時より認識しており、これが女学校設立の理由となった(当時の同志社英学校は男子学生のみを対象としていた)。新島襄、妻 新島八重、J.D.デイヴィス、A.J.スタークウェザーらが設立に関わった[8]。1883年(明治16年)にスタークウェザーが帰国した後、1888年(明治21年)に来日したアメリカン・ボードの女性宣教師M.F.デントンの尽力により校地が広がり、後に登録有形文化財となる栄光館[9][10]、ジェームズ館[11][12]などが建てられた[13]。
建学の精神
教育および研究
沿革
略歴
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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