同化政策(どうかせいさく、英語: assimilation policy)とは、力を持つ民族が、弱い民族(もしくは集団)に対して自らの文化伝統を受け入れるよう文化的同化(英語版
)を強いる政策を言う。歴史的には古くからあるが、とりわけ国民国家形成期以降の同化政策が典型的なものである。理念としての同化政策には、弱い民族の文化的特徴を否定するエスノセントリズムの側面と、国民国家形成にあたって少数派民族に主流派民族と平等な権利を与えるための条件として設定された側面とがある。しかし現実に実行された政策は、どこでも同化政策と差別政策(ないし社会に存在する差別を放置、容認する政策)とが混在しており、弱い民族が政策に呼応して同化し、文化を捨てようとも完全に平等な待遇を受けることはできないように設定されていた。
とりわけ植民地における同化政策では、宗主国の国民との間には何らかの障壁が設けられ、完全に平等な権利は認められなかった。
一方で少なくとも制度上は差別政策を持たない同化政策もあり、逆に社会的差別から保護を目的としたもの(北海道旧土人保護法)もあった[注釈 1]。 同化政策の結果、先住民族・少数民族の文化は圧迫され、中には消滅するものもあった。近年では、文化面での同化政策は否定され、先住民族の文化保護が国際的な課題の一つになっており、危機言語保護運動などが盛んになっている。 人権主義が啓蒙されている昨今、同化された先住民族・少数民族の文化面での同化政策の齎した弊害の解消ならびに復古運動として、先住民族の文化保護が国際的な課題として啓蒙されているが、それを政治的側面に利用しようとする動きもあり[1]。これに対する反発がみられる[2]。
文化的側面および影響
混同および課題
同化政策の事例
異民族に対するもの
李氏朝鮮における耽羅人(耽羅国国民、すなわち現在の済州島島民)に対する同化政策。
大航海時代、スペイン・ポルトガルによる中南米先住民族の同化政策。
フランス革命以後の国内少数民族(プロヴァンス人、アルザス人、ブルターニュ人など)に対する同化政策。
イタリアの南チロルのドイツ系住民に対する同化政策。
イタリアの植民地である東アフリカ(エリトリア・ソマリア)、リビアでの同化政策。
プロイセン王国における、スラブ系諸民族のドイツ化政策。
イギリスのウェールズにおけるウェールズ語撲滅政策。
イギリスのアイルランドにおけるアイルランド語撲滅政策。
フィリピンにおける諸民族に対するスペイン次いで米国、そしてフィリピン政府による同化政策。
開拓時代およびそれ以降における、米国、カナダによる先住民族(インディアン、エスキモー)の同化政策。
ロシア帝国及びソ連におけるシベリア地域周辺の諸民族(テュルク系現地人、ツングース系現地人、ブリヤート人、ニヴフ、樺太アイヌなど)、バルト三国、ウクライナ、中央アジア、ポーランド、コーカサス、東プロイセン、カレリア、外満洲などの地域のロシア化政策。