吉谷 一次(よしたに いちじ、1897年〈明治30年〉3月14日[1] - 1990年〈平成2年〉3月23日[2])は、日本の政治家。北海道函館市長(3期)。 青森県青森市出身[2][3][4][注釈 1]。吉谷重平の長男[5]。1918年、北海道帝国大学土木専門部卒[2]。卒業後は北海道炭礦汽船に入り、土木技師として活動する[2]。1920年に函館区水道拡張事業所(現・函館市企業局上下水道部)に移り、市水道課長、同水道部長、助役を経て[2]、1955年の函館市長選挙に立候補し、現職の宗藤大陸を破って初当選した[6]。在職中は市勢拡大の時期であり、道南の中核都市としての都市計画が一層進んだ[1]。函館空港の開港や函館臨海工業用地の完成、函館大学の開学、銭亀沢村を編入合併などがあった[1]。市長を3期務め、1967年の選挙では元北海道庁職員の矢野康に敗れた[6]。1990年に死去した。
来歴
栄典
1968年 - 勲四等瑞宝章[2]
1978年 - 函館市名誉市民[7]
1990年 - 厚生大臣表彰[2]
脚注
注釈^ 『日本の歴代市長』第1巻、57頁および『人事興信録 第21版 下』よ51頁では出身地を「長野県」と記載。
出典^ a b c 『日本の歴代市長』第1巻、57頁。
^ a b c d e f g 『現代物故者事典 1988?1990』日外アソシエーツ株式会社、1991年、691頁。
^ 『青森県人名事典』730頁。
^ ⇒吉谷 一次 (よしたに いちじ) 1898年?1990年 函館市文化・スポーツ振興財団
^ 人事興信所 1961, よ51頁.
^ a b 函館市・市長選(北海道):政治データのブログ
^ 函館市名誉市民・栄誉市民|函館市
公職
先代
宗藤大陸北海道函館市長
1955年 - 1967年次代
矢野康
区長(区制施行前)
常野正義1879.10-1880.12
林悦郎1885.10-1886.12
二木彦七1886.12-1890.2
添田弼1890.2-1891.1
椎原国太1891.1-1891.8
曽我部道夫1891.8-1892.1