吉竹史
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よしたけ ふみ吉秩B史
プロフィール
愛称エロケケ、ふみちゃんぐ
出身地福岡県久留米市
生年月日 (1984-07-04) 1984年7月4日(39歳)
血液型B型
最終学歴女子美術大学芸術学部
所属事務所セント・フォース
職歴毎日放送(2007年4月 - 2014年1月)
活動期間2007年 -
ジャンル情報バラエティ番組
公式サイト吉竹史 - Ameba Blog
担当番組・活動
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

吉秩B史(よしたけ ふみ、1984年7月4日 - )は福岡県久留米市出身のフリーアナウンサー。元毎日放送(MBS)アナウンサーセント・フォース所属。
経歴

福岡女学院中学校・高等学校女子美術大学芸術学部卒業。

2007年、毎日放送にアナウンサーとして入社。10月からテレビ番組『よゐこのワケアリ』、ラジオ番組『桂三枝の茶屋町ホテル → 桂文枝の茶屋町ホテル』のアシスタントへ起用されたことを皮切りに、報道・情報・バラエティ・スポーツ番組で幅広く活躍。テレビ番組ではよゐこ千原ジュニアロザン宇都宮まき、ラジオ番組では六代 桂文枝笑福亭鶴瓶小泉エリなど、数々のお笑い芸人落語家の下でレギュラーアシスタントを務めた。

MBSラジオの番組では、月1回放送の『茶屋町ホテル』で、歴代の「秘書(アシスタント)」では最も長く6年間にわたって「秘書」を担当。深夜の音楽番組『MBSうたぐみ Smile×Songs(うたぐみ)』では、まきちゃんぐにちなんだ「ふみちゃんぐ」という愛称で親しまれるとともに、同局のアナウンサーでは最長の延べ3年9ヶ月にわたってレギュラーで出演している。

また、MBSテレビが平日の午後に放送中の情報番組『ちちんぷいぷい[1] では、2010年10月から2012年3月まで金曜アシスタントを担当。2012年3月には、「吉竹史が行く!春の世界一周桜物語?咲いたらさんが通る?」という取材企画で、1ヶ月近くにわたって世界各国を渡航していた(#世界一周を参照)。

みんなの甲子園』(第85回記念選抜高等学校野球大会のハイライト番組)では、アシスタントを務めるかたわら大会に出場した高校・選手の取材にも携わった。

2013年夏頃には「20代最後の挑戦」としてフリーアナウンサーへの転身を決意。いったん翻意したものの、関係者と話し合いを続けた結果、2014年1月末日付で毎日放送を退社した。主な放送エリアが関西地方である同局からの退社を決意した背景には、出演していた番組の大半が、家族や親族の暮らす福岡県内で視聴できないことも影響していたとされる[2]。2014年2月からフリーアナウンサーとして活動。毎日放送からの退社前までレギュラーを務めてきた番組のうち、『魁!!なすなか塾』については、同月以降も出演を続けていた。

芸能事務所「セント・フォース」に2014年3月1日付で所属すると共に、衛星放送『Jリーグマッチデーハイライト』のMCとして、毎日放送以外の放送局が制作する番組に初めてレギュラーで出演。さらに、同月31日からは、東京キー局の全国放送『Oha!4 NEWS LIVE』の月・火曜日でニュースキャスターを担当[3]
人物

姉がいる
[4]

小学生の頃に七夕の短冊に「PUFFYになりたい」と書いている[5]。また、「初めて雑誌のグラビアを切り抜いた芸能人」として、滝沢秀明を挙げている。

尊敬するアナウンサーは、毎日放送時代の先輩でもある八木早希

同じ福岡県出身のお笑い芸人・なかやまきんに君の大ファンで、理想のタイプの男性はマッチョな人。ただし、一方では細い人が好きとも言う。

特技

「アナウンサーになれなかったら、雑誌の付録を作る仕事に就きたかった」と公言するほど創作意欲が旺盛で、
溶接が特技。面接でも溶接など物作りの話を披露していた[6]。『よゐこのワケアリ』では、ロケでガス溶接の腕前を披露。手をかたどったスタジオセットのオブジェや、番組グッズを製作した。このオブジェのデザインになった手の形は、番組のロゴや、ロケVTRを放送する際のスタジオ出演者のサインなどにも使われた。

2014年10月には、スポーツ栄養アドバイザー資格を取得している[7]

『プリプリ』のアシスタント時代に担当していたロケコーナー「街の気になるて作りさん」では、「て作りさん」と称する取材先で、さまざまな工芸品・インテリア・アクセサリー作品を製作[8]

『ちちんぷいぷい』の企画「吉竹史が行く!春の世界一周桜物語?咲いたらさんが通る?」では「行く先々の風景を消しゴムはんこで表現する」というお題を出されたことをきっかけに未経験だったが、消しゴムはんこ作家・津久井智子による1回の指導だけで消しゴムはんこの彫り方をマスター。ロケの合間に宿泊先で消しゴムを彫っては、世界各国からの生中継リポートの中で作品を随時紹介していた。いずれの作品も完成度が高く、中継で紹介するたびに、『ちちんぷいぷい』のスタジオ出演者がこぞって絶賛。世界一周からの帰国後も、『プリプリ』や『ちちんぷいぷい』のロンドンオリンピック応援企画などで、消しゴムはんこによる作品を製作・発表していた[9][10][11]

逸話

母校である福岡女学院高校の公式サイトでは、吉竹の在校時に撮影された制服姿の写真が、卒業後に制服紹介のモデル画像として使われていた。

ラジオ番組『
ヤングタウン日曜日』でアシスタントを担当。メインパーソナリティの笑福亭鶴瓶から、「エロケケ」という愛称を付けられた。この愛称は、「吉竹」の文字を分解すると、「士・口・ケ・ケ」に見えることに由来するという。

『ちちんぷいぷい』で、先輩の八木アナウンサーの後任で金曜アシスタントへ昇格してからは、九州新幹線の全線開通を機に、同番組限定ではあるが「九州親善ガール」を名乗り『吉竹史の九州よかとよ?』というロケ企画を不定期で担当。

テレビ番組『よゐこ部』のコーナー「音楽部」では、濱口優と共に、一年後輩の斎藤裕美アナウンサーと未経験ながらアルトサックスの演奏に取り組んでいた。半年にわたって練習を重ねた末に、2009年12月20日に御堂会館で開催の「第1回カッコブラス選手権」で演奏した[12]

運動が苦手であることを自任しながらも毎日放送アナウンサー時代、先輩アナウンサーの上泉雄一西靖山中真とともに第1回大阪マラソンで人生初のフルマラソンに挑戦。5時間13分34秒で完走を果たした。なお、『VOICE』火曜日の冠コーナー「吉竹史の健康なび」では、同年夏から開催直前までその挑戦に連動した企画「大阪マラソンへの道」を放送。同年12月28日の深夜(29日未明)には、マラソン中の吉竹のつぶやきを主体に構成した特別番組『吉竹史の大阪マラソン “つぶやき”続けた42.195km』もMBSテレビで放送された。大阪マラソンへ出場するまで、アナウンサーを辞めることを考えるほど思い悩んでいたという。しかし、マラソンでの走行中に沿道から名指しで声援を受けたことをきっかけに、「生涯アナウンサー」を目指すことを決意。毎日放送からの退社後も、フリーアナウンサーとして、関西で活動することを視野に入れている[2]

毎日放送のアナウンサー時代には、テレビ雑誌の『B.L.T』関西版で連載コラムを執筆。在阪局の若手女性アナウンサー代表として、日本全国で発売されるファッション誌の特集に登場したこともある。また、 たKOBE COLLECTION 2013S/Sでは、本職がファッションモデルである敦士とのコンビでMCを務めた。ちなみに同イベントを主催する毎日放送のアナウンサーがMCを担当したのは、この時の吉竹が初めて。同年9月1日に開催の2013A/W公演でもMCを任されている。

世界一周

2012年3月3日には、『ちちんぷいぷい』史上3度目のMBSアナウンサーによる世界一周企画「吉竹史が行く!春の世界一周桜物語?咲いたらさんが通る?」で台湾へ出発。同月5日の放送から29日は、羽織姿で、世界各国の桜事情を生中継やVTRで連日報告した。

滞在地は、日本関西国際空港→台湾・台北タイチェンマイトルコイスタンブールタンザニアンゴロンゴロ自然保護区およびキリマンジャロエジプトカイロイタリアシチリア島およびローマスペインマドリードおよびバレンシアサン・ホセの火祭り)→ボリビアサンタ・クルスおよびウユニ塩湖アメリカワシントン韓国済州島→日本・桜島→日本・大阪。もっとも、視聴者から事前に募集した情報を基に訪問先を決めていることもあって、吉竹は毎回の中継の最後まで次の訪問先を知らされなかった。また、桜の木があっても花が咲いていない場合には、桜が満開になった時期に電子メールでその画像を送信するよう取材相手に依頼した。

MBSテレビでは、世界一周への出発直後から、吉竹を『プリプリ』全曜日のアシスタントに起用することを発表。それにもかかわらず、吉竹が日本へ帰国する正式な時期は、済州島の滞在中まで決まっていなかった。

タイでの滞在中には、通りすがりの屋台で蛾の幼虫の素揚げを初めて目にするなり、「おいしい」と言いながら1袋丸ごと実食[13]。タンザニアでは、30℃を超える気温にもかかわらず、桜の木を探すために羽織・袴姿のまま5時間がかりでキリマンジャロの登山口まで上り詰めた[14]。VTRに映るこのような行動や、生中継で見せる前向きな姿勢は、吉竹より前に同番組で世界一周を経験した西河田をもしばしば驚かせていた。

スペインからボリビアへの渡航では、経由地として立ち寄ったペルーリマの空港で、引き継ぎの手違いから自身とスタッフのスーツケースの行方が一時分からなくなった。しかし、撮影や報告に必要な機材を手荷物として携行していたこともあって、サンタクルス到着後もロケや生中継を続けた[15][16]。またボリビアでは、過去の世界一周企画の例に倣って、間寛平の持ちギャグである「アメマ」をウユニ塩湖で絶叫している[17]

済州島で西から日本への帰国を知らされた当初、大阪へ直行できると思い込んでいた。しかし実際には、済州島から鹿児島(桜島)へ向かうことを求められた。さらに、帰国後にうどんを食べたかったにもかかわらず、済州島からの最後の生中継(2012年3月29日放送分)で『ちちんぷいぷい』のスタジオに出演していた佐伯チズ(準レギュラー)から「うどん(を食べるの)は大阪に帰るまで待って」と制止。そのため、鹿児島へ向かう途中に福岡空港で口にした地元の名物・博多ラーメンが、帰国後最初の食事になった[18]

同期社員

河本光正

鈴木健太(2017年6月の人事異動でアナウンス職から離脱)

担当番組
現在
テレビ

おいしい記憶きかせてください
BSフジ) - 進行

2017年11月に始まった番組で、不定期での放送を経て、2018年7月から毎月第3土曜日の13:00 - 13:30に放送。


輝け!チャレンジド(テレビ宮崎) - テリー伊藤と共同でMCを担当

チャレンジド(障がい者)を応援する」という趣旨で、2023年7月から毎月最終土曜日に放送。


ラジオ

テリー伊藤 昭和モーレツ天国(
TBSラジオ、2023年10月7日から毎週土曜日の15:00 - 15:25に放送)- アシスタント

過去
毎日放送アナウンサー時代

MBSニュース(テレビ・ラジオとも不定期で担当)

テレビ

よゐこのワケアリ(2007年10月 - 2008年3月)

よゐこ部(2008年4月 - 2010年12月)

USJファン!(ほぼ毎週出演)

ちちんぷいぷい

2010年9月まで主に、金曜日の「集合写真撮ろっ!」のみ登場、同年10月からアシスタントとして金曜日の全編に出演。2012年3月5日からは、前述の世界一周企画のリポーターを務めた。

『プリ?プリ』のアシスタントを担当するため、世界一周から帰阪した2012年3月30日の放送でレギュラーを降板。ただし、降板後も不定期で、生中継や同番組との連動企画に登場していた。

『プリ?プリ』終了後の2013年4月から、「水曜生中継」のリポーター(毎月最終週担当)として正式に復帰。世界一周の母体企画である「リアル世界くん」のリポーターとして、海外取材を担当することもあった。



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