吉田
よしだ
国 日本
地方中部地方(甲信越地方)
都道府県長野県
自治体長野市
旧自治体吉田町
面積3.38km²
総人口16,778人(住民基本台帳
吉田(よしだ)は、長野県長野市の市街地北東部の地域名・町名。
【狭義】吉田一?五丁目の範囲。1914年(大正12年)4月時点の上水内郡吉田町域に相当。
【広義】1.に桐原一?二丁目・中越一?二丁目を加えた範囲。1876年(明治9年)5月時点の上水内郡吉田村域に相当。長野市役所吉田支所管内の範囲。
本項では主に1.について解説しながら、#沿革の項ではかつて2. の区域に所在した上水内郡吉田村(よしだむら)、1. の区域に所在した同郡吉田町(よしだまち)についても述べる。
1. の範囲の現行行政地名は吉田一・二・三・四・五丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は381-0043。 地区の北端には浅川が東西に流れ、長野電鉄長野線と相ノ木通り(旧北国街道)及び長野県道374号北長野停車場中俣線が並行して東西に横切る。北東部をしなの鉄道北しなの線及び北陸新幹線[1]が南西から北東へ通過し、これが三・四丁目の境をなし、一?三丁目と四・五丁目を分断している。周囲は以下の大字・町丁と接する。 檀田一丁目 - 檀田二丁目 - 稲田一丁目 - 稲田二丁目 - 稲田三丁目 - 稲田四丁目 長野電鉄の桐原駅・信濃吉田駅としなの鉄道北長野駅が利用でき、地区内には多くの路線バスが走る交通至便な地である。このため長野市の近郊住宅地として急速に発展した。 古くは北国街道(現 相ノ木通り)沿いを中心に発展し、北国街道が屈折する付近(本町=吉田一丁目)が吉田村の中心地であった。このあたりには今でも歴史を感じさせる古い商家が見られる。 その後本町のやや南東に、1898年(明治31年)に吉田駅(現 北長野駅)、1926年(大正15年)に吉田町駅(現 信濃吉田駅)が隣接して開業し、両駅周辺が栄えるようになる。 モータリゼーションの時代に入ると地区北部のSBC通り沿いにロードサイド店舗が軒を連ね、賑わいを見せる。しかし一方の駅周辺地区でも、両駅の中間に1990年(平成2年)、長野市内初の市街地再開発事業として北長野駅前B-3地区再開発事業が完成[2]。ながの東急百貨店系のショッピングセンター「ながの東急ライフ」が入居し、鉄道利用者・自動車利用者ともに多くの買い物客が訪れるようになった。続いて1997年(平成9年)には北長野駅前B-1地区再開発事業として、信濃吉田駅直結の高層マンション「ノルテながの」が完成[2]。低層階に長野市役所吉田支所・公民館・保健センター・児童センターなどが入居し、公共施設の集積も図られている。 「吉田」という地名が最初に登場するのは『吾妻鏡』である。1186年(文治2年)3月12日の条で、「左馬寮領 吉田牧」とあるのが、ほぼ当地区の吉田になるらしい。善光寺の東方、浅川扇状地上に設置された「吉田牧」の水田化した村名であろうと思われる。また、1581年(天正9年)の『信濃国道者之御祓くばり日記』に、「吉田の町」とあるので、戦国時代すでにそれが成立していたらしい。人々が住み着いてよい田をひらいた。よい田だから「吉田」の村名が生まれたともいわれる[3]。 市の推計人口による。各年10月1日の数字。 1985年(昭和60年)15,072人 地区内の人口及び世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[4]。 世帯数人口
概要
三輪十丁目
三輪九丁目大字南堀
大字石渡
吉田
桐原二丁目 - 桐原一丁目 - 中越二丁目 - 大字東和田
地名の由来
人口
1990年(平成2年)15,696人
1995年(平成7年)16,824人
2000年(平成12年)16,781人
2005年(平成17年)16,904人
2010年(平成22年)17,427人
2015年(平成27年)17,157人
2020年(令和2年)16,861人
長野市 / 推計人口
吉田一丁目882世帯1,801人
吉田二丁目1,514世帯3,387人
吉田三丁目787世帯1,751人
吉田四丁目1,401世帯3,186人
吉田五丁目1,129世帯2,535人
計5,713世帯12,660人
沿革
平安時代
『和名抄』水内郡芋井郷に属す(中越に芋井森中古衣神社が存在する)。
927年(延長5年) - 『延喜式』神名帳の水内郡九社中に皇足穂宮(吉田神社)が書かれる。
961年(応和元年) - 『北山抄』に桐原の牧が登場する。
鎌倉時代
左馬寮の牧場として吉田牧が登場する(『吾妻鏡』)[3]。
室町時代
1392年(明徳3年) - 「高梨文書」「高梨朝高言上状案(たかなしあさたかごんじょうじょうあん)」に高梨与一の知行地として小井郷(こいごう)吉田村が書かれる。
1468年(応仁2年) - 『諏訪御符礼之日記』に「桐原・宇岐(宇木)・小鹿野(おじかの)(押鐘)・吉田・長嶋?」の五ヶ村が交代で諏訪の花会(はなのえ)の頭役を交代でつとめたことが書かれる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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