吉田_(長野市)
[Wikipedia|▼Menu]

吉田
よしだ
日本
地方中部地方甲信越地方
都道府県長野県
自治体長野市
旧自治体吉田町
面積3.38km²
総人口16,778人(住民基本台帳、2023年3月1日現在)
人口密度4,963.91人/km²
長野市役所吉田支所
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度40分2.7秒 東経138度13分19.1秒 / 北緯36.667417度 東経138.221972度 / 36.667417; 138.221972座標: 北緯36度40分2.7秒 東経138度13分19.1秒 / 北緯36.667417度 東経138.221972度 / 36.667417; 138.221972
所在地〒381-0043
長野県長野市吉田三丁目22番41号 ノルテながの2F
リンク吉田支所公式ページ
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}吉田
テンプレートを表示

吉田(よしだ)は、長野県長野市市街地北東部の地域名・町名。
【狭義】吉田一?五丁目の範囲。1914年大正12年)4月時点の上水内郡吉田町域に相当。

【広義】1.に桐原一?二丁目・中越一?二丁目を加えた範囲。1876年明治9年)5月時点の上水内郡吉田村域に相当。長野市役所吉田支所管内の範囲。

本項では主に1.について解説しながら、#沿革の項ではかつて2. の区域に所在した上水内郡吉田村(よしだむら)、1. の区域に所在した同郡吉田町(よしだまち)についても述べる。

1. の範囲の現行行政地名は吉田一・二・三・四・五丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は381-0043。
概要

地区の北端には浅川が東西に流れ、長野電鉄長野線相ノ木通り(旧北国街道)及び長野県道374号北長野停車場中俣線が並行して東西に横切る。北東部をしなの鉄道北しなの線及び北陸新幹線[1]が南西から北東へ通過し、これが三・四丁目のをなし、一?三丁目と四・五丁目を分断している。周囲は以下の大字町丁と接する。

檀田一丁目 - 檀田二丁目 - 稲田一丁目 - 稲田二丁目 - 稲田三丁目 - 稲田四丁目
三輪十丁目
三輪九丁目大字南堀
大字石渡
   吉田   

桐原二丁目 - 桐原一丁目 - 中越二丁目 - 大字東和田

長野電鉄桐原駅信濃吉田駅しなの鉄道北長野駅が利用でき、地区内には多くの路線バスが走る交通至便な地である。このため長野市の近郊住宅地として急速に発展した。

古くは北国街道(現 相ノ木通り)沿いを中心に発展し、北国街道が屈折する付近(本町=吉田一丁目)が吉田村の中心地であった。このあたりには今でも歴史を感じさせる古い商家が見られる。

その後本町のやや南東に、1898年明治31年)に吉田駅(現 北長野駅)、1926年大正15年)に吉田町駅(現 信濃吉田駅)が隣接して開業し、両周辺が栄えるようになる。

モータリゼーション時代に入ると地区北部のSBC通り沿いにロードサイド店舗が軒を連ね、賑わいを見せる。しかし一方の駅周辺地区でも、両駅の中間に1990年平成2年)、長野市内初の市街地再開発事業として北長野駅前B-3地区再開発事業が完成[2]ながの東急百貨店系のショッピングセンターながの東急ライフ」が入居し、鉄道利用者・自動車利用者ともに多くの買い物客が訪れるようになった。続いて1997年(平成9年)には北長野駅前B-1地区再開発事業として、信濃吉田駅直結の高層マンション「ノルテながの」が完成[2]。低層階に長野市役所吉田支所・公民館保健センター児童センターなどが入居し、公共施設の集積も図られている。
地名の由来

「吉田」という地名が最初に登場するのは『吾妻鏡』である。1186年文治2年)3月12日の条で、「左馬寮領 吉田牧」とあるのが、ほぼ当地区の吉田になるらしい。善光寺の東方、浅川扇状地上に設置された「吉田牧」の水田化した村名であろうと思われる。また、1581年天正9年)の『信濃国道者之御祓くばり日記』に、「吉田の町」とあるので、戦国時代すでにそれが成立していたらしい。人々が住み着いてよい田をひらいた。よい田だから「吉田」の村名が生まれたともいわれる[3]
人口

市の推計人口による。各年10月1日の数字。

1985年(昭和60年)15,072人
1990年(平成2年)15,696人
1995年(平成7年)16,824人
2000年(平成12年)16,781人
2005年(平成17年)16,904人
2010年(平成22年)17,427人
2015年(平成27年)17,157人
2020年(令和2年)16,861人

長野市 / 推計人口

地区内の人口及び世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[4]

世帯数人口
吉田一丁目882世帯1,801人
吉田二丁目1,514世帯3,387人
吉田三丁目787世帯1,751人
吉田四丁目1,401世帯3,186人
吉田五丁目1,129世帯2,535人

計5,713世帯12,660人

沿革
平安時代


和名抄水内郡芋井郷に属す(中越に芋井森中古衣神社が存在する)。


927年延長5年) - 『延喜式』神名帳の水内郡九社中に皇足穂宮(吉田神社)が書かれる。

961年応和元年) - 『北山抄』に桐原の牧が登場する。

鎌倉時代


馬寮の牧場として吉田牧が登場する(『吾妻鏡』)[3]

室町時代


1392年明徳3年) - 「高梨文書」「高梨朝高言上状案(たかなしあさたかごんじょうじょうあん)」に高梨与一の知行地として小井郷(こいごう)吉田村が書かれる。

1468年応仁2年) - 『諏訪御符礼之日記』に「桐原・宇岐(宇木)・小鹿野(おじかの)(押鐘)・吉田・長嶋?」の五ヶ村が交代で諏訪の花会(はなのえ)の頭役を交代でつとめたことが書かれる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:52 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef