日本の政治家吉田 豊史よしだ とよふみ
生年月日 (1970-04-10) 1970年4月10日(54歳)
出生地 日本 富山県富山市
出身校早稲田大学法学部
前職碍子メーカー社員
飲食店経営会社社長
所属政党(自由民主党→)
(無所属→)
(維新の党→)
(無所属→)
(おおさか維新の会→)
(日本維新の会→)
無所属
親族父・吉田良三(元富山県議会議員)
伯父・吉田清治(元富山県議会議員・元富山県議会議長)
公式サイト吉田豊史WEB
吉田 豊史(よしだ とよふみ、1970年4月10日 - )は、日本の政治家、実業家、衆議院議員(2期)。日本維新の会国対副委員長、富山県議会議員(2期)を務めた。
父親は自由民主党所属の元富山県議会議員の吉田良三。伯父の吉田清治も自由民主党所属で3期12年富山市議会議員、5期20年富山県議会議員を務め、富山県議会議長にも就任している[3][4][5]。 富山市立東部小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山中部高等学校理数科、早稲田大学法学部卒業。大学在学中に北米シアトルへ語学留学。当時のアメリカ西海岸のカフェスタイルに影響を受ける。 大学卒業後の1995年に富山へ戻り、硝子メーカーへ就職。即、北米オハイオ州の子会社に出向し海外事業に携わる。帰国後、1999年に有限会社を設立し起業。カフェ、豆腐製造業を経営[7]。 2007年、富山県議会議員を3期務めた父・吉田良三[8]の地盤を引き継がず、小中高の同級生を中心とした陣営で富山県議会議員選挙に自由民主党公認で出馬し、当選した[9]。2011年の富山県議会議員選挙で再選後、自民党会派を離脱して一人会派「自由民主党県議会立政会」を立ち上げた。 2012年3月、富山1区の衆議院議員で元法相の長勢甚遠が次の第46回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界を引退する意向を表明した。[10]。これを受け6月下旬から長勢の後任としての立候補をいち早く表明したが、自民党富山市連は野上浩太郎参議院議員を念頭に候補者選びを進め、予備選や公募で選考を進めてほしいとする吉田と平行線になった。自民党富山市連は候補一本化の最終手段として選考委員会(委員長=五本幸正 2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、富山1区から維新の党公認で立候補し、再び田畑に敗れるも、比例復活で初当選した(惜敗率56.001%)[14]。 2015年10月23日、維新の党の分裂に際して同党に離党届を提出し、無所属となった[15][16]。その後はおおさか維新の会(後に日本維新の会に党名変更)との連携を強化し[17]、2016年5月31日の安倍内閣不信任決議案の採決では同党と同じく反対に回り[18]、7月13日には同党へ入党する意向が報じられた[19]。7月26日、おおさか維新の会に入党届を提出し[20][21]、同日付けで入党を了承された[22]。 2016年7月、南スーダンの首都ジュバで大統領派と反政府勢力の大規模衝突が発生。11月に政府が南スーダン国連平和維持活動(PKO)の陸上自衛隊第11次隊に駆けつけ警護などの新任務を付与する閣議決定を行ったが、衝突を記した部隊の日報が問題となった(自衛隊日報問題)。2017年2月、日本維新の会の代表として且つ衆議院の議院運営委員会の許可を得た上で吉田が南スーダン情勢の調査の為、南スーダン隣国ウガンダを視察。南スーダンからの難民キャンプ地視察はもちろん、ウガンダ政府関係者、国連各機関関係者、NPO関係者等と面談し、南スーダン情勢に関する情報を各方面から聴取[23]。帰国後、収集した情報を基に3月9日、10日の安全保障委員会で稲田朋美防衛大臣、岸田文雄外務大臣に南スーダンでのPKO自衛隊活動や南スーダン周辺エリアにおける武器禁輸について質疑を行った。10日夕刻、政府は国家安全保障会議(NSC)を開催し、安倍晋三総理が南スーダンPKOの自衛隊施設部隊について、現在従事中の道路整備等が終わる5月末をめどに撤収させる旨、表明した[24]。 2017年の第48回衆議院議員総選挙に、日本維新の会公認と希望の党推薦を受けて富山1区から立候補するも落選[25][26]。 2018年1月30日、日本維新の会衆院富山1区支部長に再任されたことが発表された[27]。 2020年12月12日、2021年4月に行われる富山市長選挙への立候補を表明した[28][29]。
来歴・人物
生い立ち
社会人時代
政界入り
衆議院議員