吉田神社
拝殿
所在地茨城県水戸市宮内町3193-2
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度21分42秒 東経140度28分55秒 / 北緯36.36167度 東経140.48194度 / 36.36167; 140.48194
吉田神社(よしだじんじゃ)は、茨城県水戸市宮内町にある神社。式内社(名神大社)、常陸国三宮で、旧社格は県社。 水戸市中心市街地の南部、小高い丘である朝日山の山上に鎮座する。創建には日本武尊の東征との関わりを伝える。武神である日本武尊を祀ることから、蝦夷征伐の過程で古くから朝廷からの強い崇敬を受けた神社である。社殿は戦災で焼失したが、境内には日本武尊にまつわる場所が現在も「三角山」として残されている。 祭神は次の1柱[1]。 『常陽式内鎮座本紀』『常陸二十八社考』によると、日本武尊が東征の際にこの地(朝日山/三角山)で兵を休ませたといい、これにちなんで社殿が造営されたのが創建であるという[2]。創祀年代は不詳であるが、吉田神社所蔵の古文書によれば、正安4年(1301年)に鎮座以来800余年を経過した旨の記載が見える[2] ⇒[1]。1985年10月19、20日開催の秋季例大祭は創建1500年祭として実施した[3]。休憩場所とされる地は、現在も境内一角に伝えられている。 この伝承に対して、『常陸国風土記』では那賀郡における日本武尊の説話が見えないことから、日本武尊への結びつけを平安時代初期頃と推測する説もある[4]。
概要
祭神
日本武尊 (やまとたけるのみこと)第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父。『古事記』『日本書紀』によると、景行天皇の命で九州や東国豪族の討伐を行ったという。
歴史
創建
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