吉田沙保里
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この項目では、元レスリング選手について記述しています。その他の同名の人物については「Wikipedia:索引 よした#よしださおり」をご覧ください。

吉田 沙保里 北京オリンピック 55kg級 優勝後(下はコーチの栄和人
個人情報
生誕名吉田 沙保里
国籍 日本
生誕 (1982-10-05) 1982年10月5日(41歳)
三重県一志郡一志町(現在の津市
身長157 cm (5 ft 2 in)[1]
家族吉田栄勝(父)

スポーツ
競技レスリング

獲得メダル

日本
女子 レスリング・フリースタイル
オリンピック
2004 アテネ55kg級
2008 北京55kg級
2012 ロンドン55kg級
2016 リオデジャネイロ53kg級
レスリング世界選手権
2002 ハルキス55kg級
2003 ニューヨーク55kg級
2005 ブダペスト55kg級
2006 広州55kg級
2007 バクー55kg級
2008 東京55kg級
2009 ヘルニング55kg級
2010 モスクワ55kg級
2011 イスタンブール55kg級
2012 ストラスコナカントリー55kg級
2013 ブダペスト55kg級
2014 タシュケント53kg級
2015 ラスベガス53kg級
アジア大会
2002 プサン55kg級
2006 ドーハ55kg級
2010 広州55kg級
2014 仁川55kg級
レスリングアジア選手権
金2004 東京55kg級
金2005 武漢55kg級
金2006 アルマトイ55kg級
金2007 ビシュケク55kg級
金2008 済州55kg級
ユニバーシアード
2005 イズミル55kg級


吉田 沙保里(よしだ さおり、1982年昭和57年〉10月5日 - )は、日本レスリング指導者日本の元レスリング選手、スポーツ科学者、大府市レスリング協会副会長[2]学位健康スポーツ科学学士中京女子大学2005年)、健康スポーツ科学名誉修士中京女子大学大学院2008年)。元中京女子大学(現・至学館大学)副学長[3][4]

女子レスリング個人で世界大会16連覇、個人戦206連勝を記録し、「霊長類最強女子」の異名を持つ[5][6]2012年には13大会連続世界一でギネス世界記録認定、国民栄誉賞受賞を成し遂げた。紫綬褒章受章者(2004年、2008年、2012年)[7]。父親はレスリング選手・指導者の吉田栄勝。血液型はO型[8]

2016年リオデジャネイロオリンピックでは日本選手団主将を務めた[6]。また、2016年9月には現役を続行しつつレスリング女子日本代表コーチに就任した[9]
略歴

自宅でレスリング道場を開いていた父の指導で3歳でレスリングを始める。1998年1999年の世界カデット選手権で優勝の後、2000年2001年の世界ジュニア選手権を2連覇する。2002年のジャパンクイーンズカップでは前年の世界王者山本聖子を破り、アジア大会でも優勝。そのままの世界選手権、全日本選手権でも優勝した。2003年も世界選手権、ワールドカップと立て続けに優勝。

アテネオリンピックの代表選考試合となった全日本選手権と2004年のジャパンクイーンズカップでライバル山本に連勝し、女子レスリング55kg級の代表に選出される。2004年のアテネオリンピックで金メダルを獲得。

2007年5月、アジア選手権優勝。9月の世界選手権でも優勝し、女子として史上初の5連覇を達成する。同年12月5日、「テレビ朝日ビッグスポーツ賞」受賞。12月18日、JOCシンボルアスリートに選出される(2008年1月1日 - 2008年12月31日)、12月20日、第57回「日本スポーツ賞」(読売新聞社制定)のグランプリ受賞。12月22日、北京オリンピックのレスリング女子55kg級の日本代表に正式決定した。

2008年8月16日、北京オリンピックの55kg級に出場。予選・準決勝と勝ち上がり、決勝戦では許莉(中国)を試合開始から終始圧倒、第2ピリオドでフォール勝ちし、2大会連続でオリンピックの金メダリストとなった。

表彰式後のテレビインタビューで吉田は「4年後のロンドンも勝ちたい」と、早くもオリンピック3連覇を目指すことを明らかにした。2011年9月の世界選手権で、アレクサンドル・カレリンの最多連覇回数記録と並ぶ大会9連覇を達成した。

2012年6月、JOCロンドンオリンピック開会式の旗手に吉田を選出した。吉田は「旗手は熱望していた。金メダルをとれないというジンクスを打ち破る」と述べ[10]8月10日(現地時間8月9日)に行われた55kg競技では予選・準決勝と勝ち上がり、決勝戦ではカナダトーニャ・バービークと対戦。2-0で金メダルを獲得し、3大会連続五輪金メダルを達成、公約どおりジンクスを打ち破った。なお、ロンドンオリンピックでは閉会式でも旗手を務めた[11]野田佳彦内閣総理大臣(右)より国民栄誉賞を授与される吉田

2012年9月の世界選手権において、男女通じて史上最多となる世界選手権10連覇及び世界大会(五輪+世界選手権)13大会連続優勝を達成し、カレリンの記録を更新した[1]。この頃からカレリンの異名「霊長類最強の男」にちなんで「霊長類最強女子」と国内のマスコミ等で呼称されるようになる。中国SNSやメディアで「アイアンレディ(?娘子)」「レスリングの女帝(女皇)」と呼ばれることもある(Twitterで吉田が中国で「絶望」と呼ばれているというツイートが広まったが、そのような事実は確認されていない)[12]。また、「13大会連続世界一」を達成した事を受けギネス世界記録に認定された。さらに、この功績を称え2012年11月7日に日本政府より国民栄誉賞を授与された(個人受賞としては1977年の栄誉賞創設以来19人目であり、女子スポーツ界からの受賞は高橋尚子2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表に次いで3例目)[13]

2013年の世界選手権では、全試合を通して相手に全くポイントを与えない完全勝利で優勝、世界大会14連覇を達成した。新たに53kg級で挑んだ2014年の世界選手権では、前年に続いて決勝でスウェーデンのソフィア・マットソンを6-0で破り、世界大会15連覇を成し遂げた[14]

2015年の世界選手権では決勝で3年連続でマットソンと対戦。ポイントを先取されタックルも封じ込められるが、その後逆転して2-1で勝利を収め、世界大会16連覇、個人戦200連勝を達成した。吉田は試合後「負けるかと思った。不安で仕方がなかった」と敗戦の恐怖を口にし、マットソンも「ほとんど差がなかった」と打倒吉田への手応えを口にした[15]。同年12月の全日本選手権では55kg級で優勝しリオデジャネイロオリンピック代表を決めた[16]。しかし、その後は栄和人ヘッドコーチに試合出場を促されながらも吉田は頑なに拒否し、練習を積むことに専念。過去最長である8ヵ月の実戦無しの空白期間を経てオリンピックに挑むことになった。また、同年12月末にALSOKを退社してフリーになったことにより、オリンピックを控えながらテレビ番組やイベントの出演が重なった[17]

亡き父、吉田栄勝と約束したオリンピック4連覇を目指して挑んだリオデジャネイロオリンピックの決勝戦では、準決勝で吉田の最大のライバルになると目されていたマットソンをフォール勝ちで抑えてきたアメリカヘレン・マルーリスと対戦。第1ピリオドで吉田が1ポイント先取するも、第2ピリオドで4ポイントを奪われ、逆転負け。世界大会(五輪+世界選手権)の連覇記録は16連覇、個人戦は206連勝でストップし、15年間守り続けた世界女王の座から陥落した。吉田は「たくさんの人に応援してもらったのに銀メダルで終わってしまって申し訳ない」「日本選手の主将として金メダルを取らないといけないところだったのに、ごめんなさい。取り返しのつかないことになってしまった」と号泣し、「お父さん、私をここまで育ててくれてありがとうっていうことを伝えたいです」と亡き父に感謝の言葉を贈った[18][19][20]。なお、日本選手団主将は過去5大会メダル獲得を逃しており、吉田は銀メダル獲得で主将は表彰台に立てないというジンクスは破ったものの、金メダルを獲得できないというジンクスは破ることができなかった[6][21]

帰国後、吉田は現役引退を否定し、2020年東京オリンピック出場を最大目標に現役続行することを表明[22]。同年9月26日には日本レスリング協会理事会において、吉田のレスリング日本女子代表コーチ就任が承認された[9]

2016年11月1日、母校である至学館大学の副学長に就任(2018年8月辞任[4])。11月24日、日本代表の合宿にコーチとしてデビューをした。

2019年1月8日、現役引退を本人自身のツイッターで発表した[23]

2019年4月5日より、日本テレビ系の平日朝情報番組『ZIP!』金曜日メインパーソナリティーに就任。肩書は自ら発案した「霊長類最強パーソナリティー」[24]

新型コロナウイルスの感染拡大の中、吉田は定期的にPCR検査を実施。2020年12月28日、31日、2021年1月4日の検査では陰性だったが、1月7日の検査で陽性が判明した[25][26]。「無症状で平熱だったので、(陽性と)聞いた時はびっくりした」「その後熱は1週間くらい続いた」という。順調に回復し、1月29日、『ZIP!』に復帰した[27]。4月7日、聖火リレーの津市区間の第1走者を務め、自身の名を冠したサオリーナから出走した[28]。なお、第2走者は吉田の母で、親子で聖火ランナーの役目を果たした[28]
連勝記録

2001年の全日本女子選手権56kg級準決勝で山本聖子日本大学=当時)に判定(2-3)で負けて以来、公式戦119連勝を記録。


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