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よしだ まさき
吉田 正樹
生誕 (1959-08-13) 1959年8月13日(64歳)
国籍 日本
民族日本人
職業フジテレビ社員→フリー
テレビプロデューサー、演出家
活動期間1983年 - 現在
テレビ番組「夢で逢えたら」
「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」
「笑う犬」他
配偶者渡辺ミキ
子供なし
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吉田 正樹(よしだ まさき、1959年〈昭和34年〉8月13日 - )は、日本のテレビプロデューサー、演出家。吉田正樹事務所代表取締役[1]。ワタナベエンターテインメント代表取締役会長。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校、東京大学法学部卒業。東大法学部の同期には元M&Aコンサルティング代表の村上世彰[2]や自由民主党所属の衆議院議員である林芳正などがいる。 フジテレビにて在職中はゼネラルプロデューサー、編成制作局バラエティ制作センター部長、第二編成部企画担当部長、バラエティ制作センターライン部長等を歴任し、SBIホールディングスインキュベーション部ライン部長待遇を兼務した。3代目いいとも青年隊(スタッフ隊)のメンバーでもあった。 株式会社吉田正樹事務所代表として、映画・テレビ・舞台・WEBコンテンツの企画制作を行う。また、株式会社ワタナベエンターテインメント会長、SBIホールディングス株式会社取締役、Klab株式会社社外取締役を務める。 ウッチャンナンチャンと親交が深く、内村光良とは、お笑い番組におけるコント志向の部分で意気投合しており、吉田プロデュース番組での単独起用が目立つ。 夫人はワタナベエンターテインメント代表取締役社長、その持株会社である渡辺プロダクション代表取締役会長であり、創業者の渡辺晋・美佐夫妻の長女である渡辺ミキ。フジテレビとナベプロは太いパイプを持つが、吉田と渡辺の結婚生活はこれを象徴しているとされている。 このことを「明石家さんまの春のフジテレビ大反省会」や「めちゃ2イケてるッ!」などで触れられ、旧知の吉田が部長になっていることを知った明石家さんまからは「嫁の力で出世しやがって。
人物
略歴
1959年生まれ。兵庫県姫路市出身。
中学校時代は剣道部、高等学校時代は弁論部、大学時代は落語研究会の各クラブ活動に在籍。
東京大学法学部卒業。
1983年4月 - 三井物産の内定を蹴ってフジテレビ入社。当初の配属先はスポット営業部。関西支社を担当。松下電器産業、ハウス食品、江崎グリコなど担当
1984年7月 - かねてからやりたかったバラエティ制作に志願して、編成局第二制作部に異動。横澤彪班に所属し『オレたちひょうきん族』で三宅恵介、佐藤義和、荻野繁等のひょうきんディレクターズに仕える。不遇の時期もあったが、1985年9月30日から半年間、『森田一義アワー 笑っていいとも!』で「いいともスタッフ隊」の一員としてレギュラー出演。『ひょうきん族』のチーフAD時代に「ひょうきん懺悔室」のコーナーで水をかぶっている様子は、『オレたちひょうきん族』DVDにも収録されている。
1985年10月 - 『冗談画報』でAD→ディレクター。この番組でウッチャンナンチャンと出会い、初めて演出を行なう。
1989年 - 『夢で逢えたら』ディレクター。ウンナン、ダウンタウンと流れを作る。『夢の中から』、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』のディレクターを歴任。
1992年 - 『新しい波』でプロデューサーへ昇格、翌1993年には『やるやら!』の2代目プロデューサー(ディレクター兼務)に就任。その後、片岡飛鳥と共に『とぶくすり』をプロデュース。ナイナイ、よゐこ、極楽、本田、光浦と流れを作った。
1993年 - 『やるならやらねば』が、収録中の事故が原因で放送打ち切りとなり、『殿様のフェロモン』プロデューサーを経て、翌1994年に編成部に異動。『SMAP×SMAP』や、『めちゃ2モテたいッ!』、『めちゃ2イケてるッ!』、『LOVE LOVEあいしてる』、『27時間テレビ』などバラエティ番組の編成を担当。
1998年10月 - 『笑う犬の生活 ?YARANEBA!!?』で制作部に復帰。主にバラエティ番組のプロデューサー・チーフプロデューサーを歴任。
2003年6月 - 第二制作部企画担当部長に就任。『トリビアの泉』などを制作。
2005年6月 - SBIホールディングスインキュベーション部兼務。
2006年6月 - バラエティ制作センターライン部長に昇進、同時にデジタルコンテンツ局デジタル企画室「放送と通信の連携プロジェクト」と兼務に。アイドリング!!!ゼネラルプロデューサー。
2007年1月 - 爆笑レッドカーペットを企画制作。
2007年12月 - M-1関連ブログがアメーバニュースに紹介される。
2009年 - 1月1日付でフジテレビ退職。株式会社吉田正樹事務所を設立。株式会社ワタナベエンターテインメント会長に就任。
2010年1月 - 初の著書「怒る企画術!」を上梓。
2010年7月 - SBIホールディングス株式会社取締役に就任
2010年7月 - 26年間のフジテレビ時代を述懐した著書「人生で大切なことは全部フジテレビで学んだ ?『笑う犬』プロデューサーの履歴書?」を出版
2011年 - 映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六-太平洋戦争70年目の真実-」「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」をプロデュース。Twitterと連動した放送番組「さすらう犬の種まき(TOKYO MX)」。「ネスレアミューズ」WEB番組「いつもココロに太陽を」などの番組コンテンツ制作を開始。
2012年 - 脚本・演出立川志らく「立川談志追悼公演 演劇らくご『談志のおもちゃ箱』?ヴェニスの商人 黄金餅後日談?」などをプロデュース。
2013年 - 「踊る大捜査線シリーズ」を手掛けた本広克行監督など著名監督作品をYouTube上で無料公開する新しいインターネットコンテンツ「ネスレシアターon YouTube」(全11作品)を企画。「演劇らくご 『死神が舞い降りる街』」などをプロデュース。
2014年 - 高田文夫が立会人を務め、立川志らく、浅草キッド、爆笑問題が出演する「下北沢 男の子まつりSP」等をプロデュース。
2014年4月- 立教大学全学共通カリキュラム講義「日本のコンテンツ産業は世界に通用するか? クールジャパンを考える?」(全14回)を実施(4月16日-7月16日)。毎週様々なジャンルで活躍するゲストを招き、コンテンツ業界の現状把握と未来の展望について講義。
2014年 - ネスレアミューズよりGACKTが出演のWEB番組「GACKTなゲーム!?ガメ先手ル!-ガメセンテル-」をプロデュース。
2015年5月 - 立教大学で行われた全14回の講義が一冊に再構築された著書「メディアのリアル」を出版。
2015年 - 立川志らく三十周年記念 第二弾「志らく極楽寄席」、第三弾「THE NICHIDAI」のプロデュース、企画を手がける。
2015年 - インターネットコンテンツ「ネスレシアター on YouTube」より「踊る大宣伝会議、或いは私は如何にして踊るのを止めてゲームのルールを変えるに至ったか。Season2」を企画。
2016年 - 「ADVERTISING WEEK ASIA」に登壇。
2016年 - 「Internet Celebrity Summit 2016」に登壇。
2016年 - インターネットコンテンツ「ネスレシアター on YouTube」より「踊る大空港、或いは私は如何にして踊るのを止めてゲームのルールを変えるに至ったか。」を企画。
2016年 - エンターテイメント分野でのスタートアップ企業を表彰・支援する「START ME UP AWARD 2016」の最終審査員を務める。
2016年 - HUITMORE(ユイモア)株式会社 取締役会長に就任
2017年 - 株式会社キッチハイク 社外取締役に就任
人物
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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