吉田拓郎のオールナイトニッポン
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吉田拓郎の
オールナイトニッポン
放送方式生放送
放送期間1974年9月?1975年12月(実際は9月末)
1980年10月?1982年3月27日
放送時間放送時間節を参照
放送局ニッポン放送
パーソナリティ吉田拓郎
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『吉田拓郎のオールナイトニッポン』(よしだたくろうのオールナイトニッポン)は、ニッポン放送深夜放送オールナイトニッポン」で放送されていた番組。パーソナリティは、吉田拓郎

なお、この項目では2020年4月10日から2022年12月16日まで毎月第2金曜日に放送されていた『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』(よしだたくろうのオールナイトニッポンゴールド)についても述べる。
概要.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

1974年9月から1975年12月まで約1年4か月間月曜1部を担当(実際には9月末まで。10月から12月の間は泉谷しげる他が担当)した後、リスナーの要望にも応えるような形[1]で、1980年から金曜1部に復帰した。

1975年10月から12月までの月曜1部は、拓郎が急にやめたいと言い出して「やめるからお前やれ」と、無理やり後を継がされたと泉谷しげるは話している[2]

金曜1部の最終回では、聴取率に対する不満を述べるような発言をした一方で、「また「元気だ!」って言える再会を願っております」というメッセージを残した[1]

なお吉田拓郎は、1971年10月から1年間『パックインミュージック』(TBSラジオ)、1978年4月から約2年間『セイ!ヤング』(文化放送)のそれぞれのパーソナリティも務めており、当時の在京ラジオ局3局全てのレギュラーパーソナリティを務めたことになる。1980年10月からの金曜1部復帰は、『セイ!ヤング』降板から約6か月後のことだった。
コーナー

この節の加筆が望まれています。


作詞・作曲の裏話デモテープなどを公開しながら、その話をしていた。

あこがれの対談月に1回ほどの企画だったが、最低1時間は放送されていた。

番組内で起きた事件
離婚の発表

1975年9月、月曜1部での放送で拓郎は最初の夫人である四角佳子との離婚[注釈 1]を発表した。週刊誌にウソを書かれる前に自分の口から伝えたい、と離婚原因やマスコミに対する持論、批判などを2時間使って話した。これを聞いたマスコミがニッポン放送に殺到、自分たちを無視し、深夜の生放送で抜き打ち離婚宣言という手段に出た拓郎に記者たちは激怒。放送終了後にもみあいとなり、拓郎が「あんたら地獄へ行くよ」と罵り大きな騒動となった。マスコミが、取材される側からこれほどの罵声を浴びせられたことはかつてなかった。一方的な形の離婚宣言だったため、女性誌などからは横暴な男として激しくたたかれた[3]。この騒動により番組は打ち切りとなり、結果的にこの回が月曜1部での最終回となった[4]
吉田拓郎死亡放送事件

1981年3月13日金曜日深夜の放送で、拓郎は風邪による発熱と胃けいれんで急遽出演できなくなった。代役を務めたその日の宿直勤務のアナウンサーとディレクターが「何か面白いことをやろう」と発案し、標記のネタで放送した(ドン上野(上野修) 著 『ミスター・ラジオが通る』実業之日本社、1986年6月20日、148頁。ではこの出来事が「吉田拓郎死亡放送」と題されて掲載されている[5])。ゲストにシャネルズ(後のラッツ&スター)を迎えている中[5]、テーマ曲は葬送行進曲に替わり、「特別番組 吉田拓郎さんをしのんで」というテーマで代役のアナが進行をした[6]。番組中「死んだ」とは一言も言わなかったものの、「自殺の詩」や「どうしてこんなに悲しいんだろう」など追悼色一色の放送に、リスナーの問い合わせの電話は鳴り続け、マスコミも駆けつける大騒ぎに。約30分後に「これは冗談です」と言った後、本当の事情を説明し、自宅で療養中だった拓郎と電話をつないでやりとり(当時芸能界を引退していた美代子夫人(当時)も電話口に登場)しはじめたが、今度は抗議の電話が殺到[6]、翌日の朝日新聞にも「行き過ぎた深夜放送」「悪いシャレ」などといった記事が出た[7]

ちなみに、代役を務めたアナウンサーはその後フジテレビに転籍した塚越孝、担当したディレクターは浅野啓児[5]で、現在はともに故人[8]。この時、編成だった亀渕昭信は「あの辺から世の中、やっちゃいけないこと、放送タブーが出てきた」と話している[7]。後にとんねるずがこのジョークをテレビに持ち込み、「木梨憲武さんを偲んで」を放送したが、やはり顰蹙を買ってしまった(とんねるずのみなさんのおかげです#エピソード)。
放送時間
レギュラー放送

1974年9月?1975年12月(実際は9月末) 月曜1部 月曜25:00?27:00(火曜1:00?3:00)

1980年10月?1982年3月27日 金曜1部 金曜25:00?27:00(土曜1:00?3:00)

スペシャル放送

2008年2月24日15:00?17:00『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』内で復活放送

2023年2月18日11:00?13:00『オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル』内で2度目の復活放送
(ゲスト:篠原ともえ奈緒

吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD


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