日本の政治家吉田 公一よしだ こういち
生年月日1940年10月31日
出生地 東京都練馬区
没年月日 (2018-07-29) 2018年7月29日(77歳没)
死没地 東京都
出身校宇都宮大学農学部
明治大学政治経済学部(中退)
前職東京都議会議員
所属政党(自由民主党→)
(新生党→)
(新進党→)
(太陽党→)
(民政党→)
民主党
称号農学士
旭日重光章
衆議院議員
選挙区(旧東京5区→)
(東京9区→)
比例東京ブロック
当選回数4回
在任期間1993年 - 2003年
2009年 - 2012年11月16日
東京都議会議員
選挙区練馬区選挙区
当選回数3回
在任期間1981年7月23日 - 1993年
練馬区議会議員
当選回数2回
在任期間1971年 - 1979年
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吉田 公一(よしだ こういち、1940年10月31日 - 2018年7月29日[1])は、日本の政治家。
衆議院議員(4期)、農林水産副大臣(野田第3次改造内閣)、衆議院農林水産委員長、農林水産大臣政務官(菅直人第2次改造内閣)、練馬区議会議員(2期)、東京都議会議員(3期)を務めた。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
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出典検索?: "吉田公一"
東京都練馬区出身。東京都立農芸高等学校、宇都宮大学農学部卒業。1963年に東京都庁に入庁し、経済局に勤務するかたわら明治大学政治経済学部に入学するも、明治大学は1966年に中退した。1967年から参議院議員・石井桂の秘書を務めた[要出典]。1971年、統一地方選挙で練馬区議会議員選挙に立候補し、初当選し、2期務める。その後、参議院議員・原文兵衛の秘書を経て、1981年の東京都議会議員選挙に練馬区選挙区から立候補して当選し、都議を3期務める。都議時代は自由民主党に所属。
1993年の東京都議会議員選挙には出馬せず、当初は自民党中曽根派から総選挙への立候補を予定していたが[要出典]、自民党を離党し、新生党公認で第40回衆議院議員総選挙に旧東京5区(定数3)から立候補。鮫島宗明(日本新党)の後塵を拝したものの、得票数2位で当選した。その後は新生党党首だった羽田孜に従い、新進党・太陽党・民政党を経て、1998年に民主党に入党。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い、東京9区から新進党公認で立候補。旧民主党の小川敏夫、自民党のガッツ石松らを破り、当選。太陽党では党国会対策委員長を務め、民主党入党後は東京都連幹事長に就任。
1998年の第18回参議院議員通常選挙では東京都選挙区で立候補した民主党新人の小川敏夫の選挙対策本部長を務める。1999年東京都知事選挙では衆議院議員を辞職し、民主党を離党して立候補した鳩山邦夫の選挙対策事務総長を務めた[要出典](本部長は岩國哲人)が、鳩山は石原慎太郎元運輸大臣に敗れた。
2003年、第43回衆議院議員総選挙では東京9区で自民党新人の菅原一秀に敗北し、比例復活もならず落選した。2004年の第20回参議院議員通常選挙では比例区から立候補したが、次々点で落選。
2005年3月、東京4区選出の中西一善(自民党)が議員辞職し、2003年の総選挙で東京4区で中西に敗れ比例東京ブロックで復活した宇佐美登(民主党)が、補欠選挙への立候補を表明。これにより、比例東京ブロック次点の吉田が繰り上げ当選の対象になったが、東京4区は第43回衆議院議員総選挙における、一票の格差をめぐる選挙無効訴訟の対象であったため、公職選挙法の規定により補欠選挙は先送りされた[要出典]。