吉池
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株式会社吉池御徒町駅に隣接する吉池本店ビル
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
110-0005
東京都台東区上野3-27-12
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分26.6秒 東経139度46分27.4秒 / 北緯35.707389度 東経139.774278度 / 35.707389; 139.774278座標: 北緯35度42分26.6秒 東経139度46分27.4秒 / 北緯35.707389度 東経139.774278度 / 35.707389; 139.774278
設立1941年9月
業種小売業
法人番号9010501014357
事業内容総合食料品の販売、衣料品、日用雑貨の販売、外食事業、水産加工業、レジャー事業
代表者代表取締役社長 高橋登
資本金1,315万円(2023年12月1日)
従業員数257人
外部リンク ⇒http://www.yoshiike-group.co.jp/
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株式会社吉池(よしいけ)は、東京都台東区上野三丁目の御徒町駅前に本店を構えるスーパーマーケットである。本店の他、港区赤坂に1店舗を有する。
来歴

1920年(大正9年)、新潟県東頸城郡布川村(後の松之山町、2005年合併により十日町市)出身の高橋與平(たかはし よへい)が、東京府芝区芝赤羽町(現在の港区三田1丁目)に鮮魚小売店を開業する。1933年(昭和8年)、東京府下谷区御徒町へ移転以降、鮮魚を中心に食料品、衣料品、酒、日用雑貨等を幅広く取り扱い事業を拡大する。1941年(昭和16年)に株式会社吉池商店を設立し、1963年(昭和38年)に株式会社吉池に社名変更する。『吉池』は高橋の実家の屋号に由来し、高橋の出身地である新潟県産物を、食品や酒類コーナーで豊富に取り揃える。和食寿司など外食事業、旅館ビジネスホテルなどホテル事業の他、茶道華道着付け、料理など各種文化教室を本店8階こまくさ学院で催している。かつて、筑波大学学生宿舎内で売店等を運営した。

2012年、ビル建て替えのため2月末で店舗を一時閉店し仮設店舗での営業を告知[1]する。新しいビルは三井不動産の開発マネジメントにより、同年10月に工事に着手した[2]。外部テナントとして、ユニクロジーユーユザワヤの他、飲食店も入居する。オープンは吉池の食料品売場が2014年4月23日[3]、ユニクロ[4]およびジーユー[5]4月25日にそれぞれオープンし、4月26日にグランドオープン[6]した。旧本店ビル(2009年撮影)

近年では、外国人観光客の姿も多くみられ賑わいを見せている。
CM

CMラジオのみで、文化放送くにまるワイド ごぜんさま?』内で『10時の文化放送ニュース』を火曜と木曜に提供している。2009年4月29日までは平日13時台の番組(2007年5月以降は『大竹まこと ゴールデンラジオ!』、同年3月以前は『吉田照美のやる気MANMAN!』)内で、月、水、金曜の13時15分頃にスポット提供した。
吉池土曜落語会

1984年、席亭との軋轢により鈴本演芸場から撤退した落語芸術協会が、7階和室を用いて『吉池土曜落語会』を開催した。吉池経営陣の理解と支援から当初常打ち寄席の予定だったが劇場営業許可を得ておらず、東京消防庁の指導に従いお座敷食堂のイベントという体裁で客に湯茶や栄養ドリンクを供しながら、週1日のみ興行された。しがらみが無い立場から立川流噺家の出演や、マスコミへの露出機会が少ない色物や明治から大正初期生まれのベテランが最晩期に披露した熟練芸などに、間近で接することができた。舞台と客席の距離が近く、マイクを通さぬ演者の息遣いが感じ取れるほどに貴重な寄席であった。しかし、宣伝不足から活況を呈さず、1996年5月に永谷商事所有のお江戸上野広小路亭が開館したことで芸協の定席を広小路亭で行うことに伴い、終了した。
関連人物

HIKAKIN - YouTuber
下積み時代に「都内のスーパー」で勤務していたことがしばしば本人の口から語られるが、近年では「吉池」と名前を出し、テレビで当時の上司と共演するなど良好な関係を築いている。上司曰く「とにかく真面目でPOP作りもうまくて、お客さん目線で考えていたんです。今の仕事とも結びつくところもあると思う」と、当時から人を喜ばせるアイデアを持ち、真面目でストイックな性格であったという[7]

立川談志 - 落語家
前述の経緯から、しばしば吉池土曜落語会の高座に上がっていた。
参考文献

『「吉池」創業者 高橋與平
物語』(福田隆夫著)ISBN 4938791668


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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