吉水神社
拝殿
所在地奈良県吉野郡吉野町吉野山
位置北緯34度22分2.5秒
東経135度51分42.8秒
吉水神社、𠮷水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある神社である。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である[1]。
もとは金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)だったが、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)により、神社となった。後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀する。 社伝では、白鳳年間に役行者により建立されたと伝えられる。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸したとき、宗信法印の援護を受けて吉水院に行宮を設け、一時居所とした。後醍醐天皇の崩御の後、後村上天皇が後醍醐天皇の像を作って吉水院に奉安した。 明治時代に入ると神仏分離令と国家神道化の観点から天皇を仏式で供養することが問題視され、明治4年(1871年)5月に五条県が吉水院を神社に改めて吉野神社とする案を太政官政府に提出した。後醍醐天皇を祀る神社を別に作ることを計画していた[2]政府は五条県の案を却下したが、金峯山寺の廃止が迫る情勢となったことから、奈良県が神社への改組を働きかけ、明治6年(1874年)12月17日に後醍醐天皇社の名で神社になることが太政官に承認された。明治8年(1875年)2月25日に吉水神社に改称し、やがて村社に列した[3]。 後醍醐天皇のほか、源義経や豊臣秀吉ゆかりの地でもあり、多くの文化財が所蔵されている。本殿は旧吉水院護摩堂である。隣接する書院には、後醍醐天皇の玉間と源義経が潜居したと伝えられる間があり、重要文化財に指定されている。 [ヘルプ] ウィキメディア・コモンズには、吉水神社
目次
1 歴史
2 文化財
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
歴史
文化財
重要文化財
書院 - 初期書院造りの傑作といわれる書院建築。
色々威腹巻 - 源義経の鎧と伝わる。
伝後醍醐天皇宸翰消息
脚注
^ Unicodeでは U+20BB7、「𠮷」。
^ この計画は明治25年(1892年)に吉野神宮創建で実現した。
^ 岡田米夫「神宮・神社創建史」、松山能夫・編『明治維新神道百年史』第2巻、神道文化会、昭和41年(1966年)、40-42頁。
関連項目
吉野神宮
外部リンク
⇒吉水神社(公式サイト)
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※印は2016年に追加・変更されたものである。
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