吉村洋文
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日本政治家吉村 洋文よしむら ひろふみ
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1975-06-17) 1975年6月17日(48歳)
出生地 日本 大阪府河内長野市
出身校九州大学法学部卒業
前職弁護士
税理士
所属政党(大阪維新の会→)
(大阪維新の会/維新の党→)
(大阪維新の会/おおさか維新の会→)
大阪維新の会/日本維新の会
称号法学士
配偶者既婚
公式サイト ⇒大阪府知事 吉村洋文
第20・21代 大阪府知事(公選)
当選回数2回
在任期間2019年4月8日 - 現職
第20代 大阪市長(公選)
当選回数1回
在任期間2015年12月19日 - 2019年3月21日
衆議院議員
選挙区比例近畿ブロック大阪4区
当選回数1回
在任期間2014年12月19日[1] - 2015年10月1日
大阪市会議員
選挙区北区選挙区
当選回数1回
在任期間2011年4月30日 - 2014年
その他の職歴
第3代 日本維新の会共同代表
2022年8月27日 - 現職)
第3代 大阪維新の会代表
2020年11月21日 - 現職)
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吉村 洋文(よしむら ひろふみ、1975年昭和50年〉6月17日[2] - )は、日本政治家弁護士[3]税理士大阪維新の会所属[4]大阪府知事[5](公選第20・21代)、大阪維新の会代表(第3代)[6]日本維新の会共同代表[7]

過去には、大阪市長(1期)、衆議院議員(1期)、大阪市会議員(1期)、おおさか維新の会政務調査会長(初代)、大阪維新の会政務調査会長(第2代)、同代表代行、日本維新の会副代表を務めた。
経歴

大阪府河内長野市出身。河内長野市立千代田小学校河内長野市立千代田中学校府立生野高校を経て、1998年平成10年)3月に九州大学法学部卒業[8]
弁護士として

1998年10月、司法試験に合格し、2000年弁護士登録。熊谷信太郎弁護士法律事務所に勤務[9]

この時期に弘中惇一郎らと大手消費者金融武富士訴訟代理人顧問弁護士)を務める[10][11]。法人である消費者金融・貸金事業の武富士と会長で創業者である武井保雄が反社会的な取り立てや違法な業務などを行ったとして週刊プレイボーイで告発した寺澤有への訴訟(総額2億円)を担当したが、これについてはスラップ訴訟であるとの指摘も受けた[注 1]

2003年12月、武井がジャーナリスト宅盗聴事件に関与したとして電気通信事業法違反で逮捕され、武富士会長を辞任した後、スラップ訴訟を認めて訴訟を終了させた[注 2]

2005年1月、熊谷綜合法律事務所から独立し、共同経営でスター綜合法律事務所を開設。また、歌手やしきたかじんの顧問弁護士を務めた[16][17]

2014年1月3日、やしきたかじんが死去すると、吉村はその遺言執行者として、同月7日にたかじんの個人事務所P.I.Sへ入り、同社の実印や通帳、帳簿類や契約書などを持ち出し、後に実印と決算書などを遺族に手渡した。だが、2月に入って、たかじん本人が同社の全株50株のうち12株しか持っていないことが判明し、全株の4分の1にも満たないため、たかじんの遺志だけではその遺族が社長になれないことが明らかになった。その後、会社は吉村に何度か返還を要求したが、少なくとも同年10月までには戻ってこなかった[18]
政治家として
大阪市議会議員
2011年大阪維新の会公認で大阪市会議員選挙に北区選挙区から出馬し、当選。当時、この選挙では維新の候補者が足らず、やしきたかじんが紹介した吉村を橋下徹代表が口説く形で政界入りした[19]2013年5月からは市議団政調会長を務めた[8]
衆議院議員
2014年、大阪市会議員を辞職。同年の第47回衆議院議員総選挙維新の党公認で大阪4区から出馬。自由民主党前職の中山泰秀に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、当選した[20]。衆議院議員在職中は維新の党政調副会長や、大阪維新の会の「都構想推進本部」(本部長:橋下徹)の局長も務めた[21]。橋下の信頼も厚く、大阪都構想の制度設計では中心的な役割を担っていた[22]2015年9月26日には、橋下の任期満了に伴う大阪市長選挙に、大阪維新の会が吉村を擁立する意向が報じられる[23]10月1日、辞職願を大島理森衆議院議長に提出[24]し、同日許可された[25][26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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