吉村作治
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吉村 作治人物情報
生誕 (1943-02-01)
1943年2月1日(81歳)
日本東京府
出身校早稲田大学
学問
研究分野エジプト考古学
学位博士(工学)
称号瑞宝中綬章
早稲田大学名誉教授
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吉村 作治(よしむら さくじ、1943年昭和18年〉2月1日 - )は、日本考古学者博士(工学)、乙種、早稲田大学、1999年)、東日本国際大学総長早稲田大学名誉教授、サイバー大学客員教授。タレント

日本のエジプト考古学の第一人者で、衛星写真分析などハイテクを導入した調査方法で遺跡を発掘する手法が評価される。
略歴

中野区立丸山小学校東京学芸大学附属大泉中学校東京学芸大学附属高等学校を経て[1]、1969年に早稲田大学第一文学部を卒業。元アラブゲリラ隊員を自称している[2]。1999年に早稲田大学より博士(工学)の学位を取得。以前にディプロマミルとされるパシフィック・ウエスタン大学より考古学博士号を購入していた[3]

早稲田大学人間科学部教授、国際教養学部教授、サイバー大学学長(任期満了に伴う退任。2011年4月1日付で同客員教授に就任)、東日本国際大学教授・副学長・学長・総長を歴任[4]
人物

留学と発掘調査、研究などでエジプトでの生活が長く、元妻もエジプト人である。

パレスチナ難民キャンプやゲリラの訓練キャンプを取材した。

ドキュメンタリー番組などでコメンテーター、解説者、司会者などを務め、NHKの考古学ミステリー番組やテレビ東京サイエンスドキュメンタリーに出演することが多い。湾岸戦争で述べたコメントなどがイラクに同情的と見られ、親米論壇や視聴者・読者から非難を受けた経験があり、以後は政治的な発言は控えている。また、離婚経験者として出演したことがある。TBSの番組や企画展に関わりが多く「専門ではないけど、TBSさん専属なので」とも述べた。

料理を好み、NHK教育テレビきょうの料理『男の料理(男の食采)』」に複数回出演し、料理に関して著述し、早稲田大学早稲田キャンパス近傍に所有する「エジプト考古学ビル」一階でエジプト料理店『パピルス』を経営していた。

世界文化遺産に登録された、福岡県宗像市「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を最初に提唱し、毎年宗像市で講演している。

「ダイドードリンコスペシャル 日本の祭り」→「ダイドーグループ 日本の祭り」に参加して、毎年各地で祭礼を取材を行っている。この企画で放送される番組にも出演している[5]

教育が扱う歴史だけではなく比較文明を重視し、ゆとり教育を肯定している。

家族

長女はエジプトで活動する女優の吉村佳南。
エピソード

高校卒業後に合格する大学により、
東京大学の文科II類ならば学者を、日本大学芸術学部演劇科ならば役者を、それぞれ考えていた。東京大学は不合格となり役者を志すと決断したが、母から「学者は役者になれるけど、役者は学者になれない」と諭されて3年間浪人するも、自身の受験で疲弊した家族を見て東京大学への進学を断念して早稲田大学へ進学した。早稲田大学の入試は現在ほど難しくなかったと後年に語っている。さまざまなアルバイトをしながら、タンカー船と交渉して安価で洋行した。後に早稲田大学を経由してエジプトへ留学するが、自宅の近傍に居住する大学教授に特別講義を受けて通常の授業に出席する時間を節約し、大使館でアルバイトした。当時は他の日本人留学生と交流は悪かったが大使館関係者として貴重な経験を得られ、後の発掘に人脈が大きな力となった。

2012年のインタビューで、1967年にエジプト女性と結婚する際にイスラム教徒になり離婚後も改宗はしておらず、日本人イスラム教から学ぶ点が多い、と語っている[6]。カイロ大学留学中に出会った8歳年下のエジプト人女性と23歳で結婚して1男1女を儲けたのちに離婚した[7]。離婚の理由は、家族で日本を旅行した際の夜中に一人で豚肉チャーシュー入りのラーメンを食して禁忌を犯して妻を激怒させたり、仕事で多忙のために帰宅は1年間に20日間程度になってしまっていたなど家族を顧みる余裕が無かったりしたことが遠因だったと語る[7]

祖母は小規模な新宗教団体の教祖であったが、他人の人生を掴むような仕事を世襲してはいけないと思い母は継承しなかったのだろう、と述べている。自身はイスラムに帰依していた時期を除き、無宗教を公言しているが無神論者ではない。

1999年1月に仙台市成人式で来賓として講演したが、新成人のマナーの悪さに「これは新生児のお祝いだ!!新成人の祝いではない!!二度と成人式で講演しない!!」と激怒し、「99%上の空の催し物は、やめた方がいい」と批判し[8]、当時の仙台市長藤井黎が吉村に謝罪文を送付した[8]

エジプトの古代発掘事業事務局長を名乗る男性に出資金名目で金を騙し取られたことで、男性に資金集めを依頼した吉村に約7,000万円の損害賠償を求め、大阪市内の会社社長が大阪地方裁判所に提訴した。吉村は「問題の男性とは連絡を取れなくなった」と主張している[9]

早稲田大学の博士号取得前にディプロマミルであるパシフィック・ウエスタン大学から30万円で博士号(考古学)を購入したが、自身は冗談として公言している。

NHKの料理番組きょうの料理『男の料理(男の食采)』に初めて出演した時に「エジプトで学生たちと皆でわいわい食べる料理」としてマカロニインディアンを紹介した。湯がいたマカロニを玉ねぎと塩・胡椒・カレー粉と一緒に炒めたもの。カレー味だから「インディアン」であるとのこと。

他の早稲田の教授と比較して助教授時代が長い、というのが本人の弁。助教授時代にバラエティー番組に出演すると「教授!」と呼びかけられることが多かった。「教授じゃないんです。助教授なんです」と言うと周囲は驚いていた。エジプトに度々行っていること、エジプト考古学はお金がかかること、などで学校側から嫌われていて「教授にさせてもらえない」と言っていた。

経歴

1943年2月1日 東京都新宿区に生まれる

1961年3月 東京学芸大学附属高等学校(竹早校舎)卒業する

1964年 早稲田大学第一文学部に入学する

1966年 早稲田大学古代エジプト調査隊を組織してエジプトでの調査研究を始める。エジプト考古調査隊としてはアジア初である

1968年 カイロ大学考古学部へ留学し、現地人と婚約して通信社支局で働き始めるが、恩師が急死して帰国する


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