吉岡温泉
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度29分0.42秒 東経134度7分41.43秒 / 北緯35.4834500度 東経134.1281750度 / 35.4834500; 134.1281750

吉岡温泉

温泉情報
所在地鳥取県鳥取市吉岡温泉町
交通山陰本線鳥取駅より日ノ丸バスで約25分(湖山経由は約45分)
泉質単純温泉[1]
泉温(摂氏)50.8℃(新設集湯漕)[2]
液性の分類弱アルカリ性
宿泊施設数10[2]
年間浴客数25,134[3]
統計年2017年
外部リンク ⇒吉岡温泉旅館組合HP
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吉岡温泉(よしおかおんせん)は、鳥取県鳥取市吉岡温泉町にある温泉

国民保養温泉地に指定されており、1000年前に発見されたと伝えられている[1]

本記事ではあわせて鳥取市吉岡温泉町地区についても説明する。
泉質

単純温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)で、源泉温度は30?55℃[2][1]
温泉街

10軒の旅館が存在する。

温泉街には数箇所源泉があり、蛇口が設置されているところでは、蛇口をひねると源泉が出てくる。

共同浴場は、吉岡温泉会館(一ノ湯)が存在する。また、足湯(華湯・やすらぎ湯)が2箇所にある。

名物はぎょうせん飴(褐色の水飴)と料理。
郷土料理

郷土料理として、ナマズ料理が有名。
歴史

開湯は1000年以上前とされている[1][2]。吉岡温泉にある宝泉寺の『温泉略縁起』[4]では962年応和2年)葦岡長者が温泉を発見したことになっている。江戸期の『吉岡温泉記』で紹介されている言い伝えによると、顔に瘡のできた娘が薬師如来に願をかけ、その託宣にしたがって温泉を発見し、それによって瘡が治癒したという[2]。『全国温泉大事典』や『鳥取県の地名(日本歴史地名大系)』では、この娘は葦岡長者の娘で、願を掛けたのは6kmほど東にある菖蒲山(菖蒲山座光寺)ということになっている[1][5]

島津家久が記した『中書家久公御上京日記』には家久が天正3年(1575年)の2月薩摩国山陰地方を経由して帰る途中、吉岡温泉の湯につかった[6]ことが次のように記されている。「十八日朝、(略)さて吉岡の城、同其町を通るに、出陽(湯)有、各々入(略)」[5]

鹿野城主の亀井茲矩鹿野藩)は吉岡温泉の開発を行ったほか、鳥取藩3代目の池田光仲は温泉利用の規則を設けるなど、戦国期から江戸期の支配者によって庇護を受けた[2]

江戸期の情報では、温泉が最初に発見された「株湯」(柳の古木の株から湧出)、藩主専用(鍵湯)だった「一の湯」「二の湯」、亀井氏専用だったが後に開放された「亀井殿湯」、そのほか「荒湯」「馬湯」といった共同の湯船があったとされる[5]。のちに発展とともに温泉旅館や内湯が増えていった[5]

近代に入ると、大正時代に鳥取市との間に自動車による交通が整備された。1925年(大正14年)には県議会が紛糾し、政友会一派が審議妨害を目論んで、会期中に議会を抜け出し吉岡温泉の宿泊施設にこもるという「吉岡ホテル事件」が起きた[5]

太平洋戦争後、温泉委員会が組織されて源泉の整理が行われ、1966年昭和41年)8月1日、厚生省告示第351号により、鹿野温泉とともに国民保養温泉地の指定を受けた[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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