吉原裏同心
[Wikipedia|▼Menu]

『吉原裏同心』(よしわらうらどうしん)は、佐伯泰英による日本時代小説シリーズ。光文社文庫より刊行されている。『吉原裏同心抄』についてもこの項にて扱う。

2014年6月より、NHK総合テレビ木曜時代劇枠にてテレビドラマ化された[1]
あらすじ.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

幼なじみで、人の妻となっていた汀女と駆け落ちした神守幹次郎は、追っ手を避けながら流れ着いた江戸で、吉原遊郭四郎兵衛会所の用心棒、裏同心として雇われる。幹次郎は、遊女たちに俳句などを教えることになった汀女や会所の面々と共に、吉原に起こる様々な事件を解決していく。
登場人物
主人公
神守幹次郎(かみもり みきじろう)
元は
豊後竹田岡藩[注釈 1]で13石を賜る馬廻り役だったが、安永5年(1776年)の夏、18歳の時に納戸頭である藤村壮五郎の妻汀女を連れて脱藩した。その後、藤村の追っ手から身を隠しながらあちこちをさすらい、国を出てから9年後(天明5年、1785年)に江戸に到着した。そして、その翌年、28歳の時の時に吉原遊郭の四郎兵衛会所[注釈 2]に、裏同心として雇われた。その報酬は年25両で家賃は会所持ち。大きな事件を解決すれば慰労金が出る。当初は会所が所有する左兵衛(さへえ)長屋で暮らしていたが、後に会所から贈られた浅草田町一丁目の家に引っ越す。子どものころ、実家が貧しくて道場に通うことができなかったが、7歳の時、旅の老武芸者から薩摩示現流の手ほどきを受け、以後独学で修行を続けてきた。また、脱藩後に立ち寄った金沢では、小早川彦内が道場主を務める眼志流居合の道場に通い、示現流の弱点[注釈 3]を補う居合術も身につけた。「横霞み」「浪返し」「白浪崩し」「流れ胴斬り」「漣」などの技があり、幹次郎は、居合で相手を仕留めた際、半ば無意識に技名をつぶやく。腰に差している大刀は、先祖が戦で倒した騎馬武者から奪ってきたものと伝えられる無銘の刀だが、浅草東仲町の研ぎ師松久は、後鳥羽上皇の二十四人番鍛冶の1人、豊後の刀鍛冶行平(ゆきひら)の若いころの作と鑑定した。身幅広く、先反りの2尺7寸(81.8センチ)の長剣。また、ある事件解決の報償として、四郎兵衛から美濃の刀鍛冶和泉守藤原兼定(かねさだ)の鍛った刀をもらう。刃渡り2尺3寸7分(71.8センチ)、黒漆塗りの鞘に黒革巻の柄(つか)、竹に雀の鍔拵え、刀身は地鉄小板目、刃文大五の名刀。面番所に遠慮して、会所に出入りするときには、かたくなに裏口を利用していたが、吉原が大火で消失し、再建されて後は、表玄関から出入りするようになった。
ヒロイン
汀女(ていじょ)
幹次郎の妻。父・野村継彦が藤村壮五郎に15両
[注釈 4]の金を借りて返せなくなり、半ば身売り同然に、18歳も年上の藤村の妻となったが、嫁して3年後に幹次郎と駆け落ちした。幹次郎とは同じ長屋に住んでいた幼なじみで、汀女の方が3歳年上のため、昔から幹次郎には「姉さま(あねさま)」と呼ばれていたが、2人が連れ添うようになった後もそう呼ばれている。汀女は幹次郎を「幹どの」と呼ぶ。俳句、連歌、漢詩と素養豊かで、字も達筆。駆け落ち後は人前で俳句を披露することをやめたが[注釈 5]、吉原では3日に一度の割合[注釈 6]で遊女たちに俳句や和歌、華道、香道、習字などを教え、手紙の代筆なども行っている。これは、遊女たちと接することで、事件を芽のうちに発見するという意味がある。四郎兵衛は、幹次郎の役目が手足とすれば、汀女の役目は耳目であるとたとえた。通常は幹次郎のみが裏同心と呼ばれているが、実は夫婦2人で一役である。また、長屋でも吉原関係者の子どもたち相手に寺子屋を開いている。吉原再建後は、吉原での手習い塾の他に、浅草並木町で引き続き営業することになった料理茶屋山口巴屋で、多忙な玉藻の後見をしながら、馴染み客相手に俳諧の塾も開くこととなった。後には、料理茶屋の差配も任される。駆け落ちしたのが21歳で、会所に雇われたのが31歳の時。
薄墨太夫(うすずみだゆう)
吉原一の人気を誇る三浦屋の花魁。幹次郎に好意を抱いており、2人きりのときには突然口づけするなど大胆な行為に及ぶことも。薄墨の夫への想いを知っている汀女とも仲が良く、2人は本当の姉妹のようだと吉原内で評されている。汀女の手習い塾では最も古い弟子の1人であり、代教格として手伝いをしている。吉原炎上の際、幹次郎が炎に包まれた三浦屋から薄墨を背負って救出した。その姿は、読売でも大々的に報じられた。元は表御祐筆の役をいただく170石の旗本の娘で、本名は加門 麻(かもん あさ)。親が病にかかって治療費を得るために苦界に落ちた。吉原炎上の後に、幹次郎夫妻に本名を教え、汀女は薄墨と2人きりの時には本名で呼びかけることにしている。25巻「流鶯」で、長年のひいき筋であった札差・伊勢亀半右衛門の末期の希望により、身請けされる形で借財がすべて返済され自由の身となる。
四郎兵衛会所
四郎兵衛(しろべえ)
吉原遊郭四郎兵衛会所
[注釈 2]の名主。名主は代々四郎兵衛の名を受け継ぐが、当代は七代目。七軒茶屋[注釈 7]山口巴屋の主でもある。本名は精太郎。天明7年(1787年)で52歳[注釈 8]
仙右衛門(せんえもん)
四郎兵衛を補佐する番方の1人[注釈 9]。歳は30代の半ば過ぎ。柴田草庵の診療所で働くお芳(およし)とは10歳違いで、昔から互いに憎からず思ってきたが、諸般の事情でなかなか結ばれることがなかった。しかし、吉原再建を機に玉藻の後押しでついに気持ちを確認し合い、結婚することとなった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:85 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef