吉原幸子
[Wikipedia|▼Menu]

吉原 幸子(よしはら さちこ、1932年6月28日 - 2002年11月28日)は、日本詩人

東大仏文科卒。劇団四季で主役を演じたがすぐに退団。詩作に転じ、第一詩集『幼年連祷』(1964年)で室生犀星詩人賞、『オンディーヌ』(1972年)と『昼顔』(1973年)で高見順賞受賞。さめた感性で愛をうたう。「歴程」同人。
来歴・人物

東京四谷生まれ。四人兄妹の末っ子。兄姉の影響で幼い頃から萩原朔太郎北原白秋の詩に親しむ。東京都立第十高等女学校(のちに東京都立豊島高等学校に改称)時代には演劇・映画に熱中(演劇部の同級生に女優の荻c子、朗読家の幸田弘子、二年後輩に宝田明がいた)、また国語教師の詩人那珂太郎の奨めで校内文芸誌『果樹園』に詩作「考へ方」「星」ほか3篇を発表した。一浪の後、1952年(昭和27年)、東京大学文科二類(現・東京大学文科三類)に入学。在学中は演劇研究会に在籍し、ジャン=ポール・サルトルベルトルト・ブレヒトなどの現代劇に出演。1956年(昭和31年)、東京大学文学部仏文科卒業。初期の劇団四季に入団、「江間幸子(えま さちこ)」の芸名で第6回公演のアヌイ作『愛の條件 オルフェとユリディス』(音楽・武満徹)にて主役を務めるも同年秋に退団。1958年(昭和33年)、黒澤明の助監督であった松江陽一と結婚、一児をもうけるが1962年に離婚。同年、那珂太郎を通じて草野心平を紹介され、歴程同人となる。

1964年(昭和39年)5月、第一詩集『幼年連祷』を歴程社から350部自費出版。思潮社社主の目にとまり、第二詩集『夏の墓』を思潮社から出版。またこの年、吉行理恵工藤直子新藤凉子山本道子村松英子山口洋子渋沢道子ら同世代の女性詩人と8人でぐるーぷ・ヴぇが(VEGA)を起ち上げ、1967年の休刊まで詩誌『ヴぇが』を刊行。1965年(昭和40年)、『幼年連祷』で第4回室生犀星詩人賞を受賞。1974年(昭和49年)、『オンディーヌ』『昼顔』で第4回高見順賞受賞。この頃より諏訪優白石かずこ吉増剛造らと共に、詩の朗読とジャズのセッション、舞踊家山田奈々子との公演など、詩と他分野のコラボレーションを手がけるようになる。1983年(昭和58年)7月、新川和江と共に季刊詩誌『現代詩ラ・メール』(思潮社, 書肆水族館)を創刊。1993年の通巻40号を以て終刊するまで広く女性詩人や表現者の活動を支援した。輩出したラ・メール新人賞の受賞者には鈴木ユリイカ小池昌代岬多可子高塚かず子宮尾節子らがいる。

1990年頃から手の震えなど身体の変調を来し、1994年にパーキンソン症候群と診断される。1995年(平成7年)、新川和江によってまとめられた最後の詩集『発光』を出版。同年第3回萩原朔太郎賞を受賞。

2001年(平成13年)に自宅で転倒し、大腿骨頸部を骨折して入院。翌2002年11月28日、肺炎で死去。戒名は文藻院詠道幸雅大姉[1]

生前に谷川俊太郎に「私にはふたつ秘密があるの[2]」と語っていた秘密について、文芸評論家の水田宗子2023年9月21日読売新聞文芸欄で『婚外子である自身の出生の秘密』と『異性愛の外部に置かれた性愛の秘密』と指摘している。後者のレズビアンについては、公式にはカミングアウトされていない[要出典]とする説もあるが、作品の中で示唆している[3]。詩人の長嶋南子は、「吉原幸子からはフェロモンが立ちのぼっていたが、それを嗅ぎ取っていたのは女だった[4]」と書いている。また、ナイフやモデルガンを蒐集していた[5]

2012年(平成23年)12月、没後10年を記念して1983年から1995年までの後期詩集を収録した『吉原幸子全詩 III』が思潮社より刊行。1981年刊行の『吉原幸子全詩 I, II』も新装復刊された。

2023年(令和5年)6月、没後二十年を記念して平凡社から代表作や写真をまとめたコロナ・ブックス『詩人 吉原幸子 愛について』刊行。谷川俊太郎が巻頭詩を、作詞家の松本隆らが寄稿した。
家族・親族

三陽商会の創業者・吉原信之は次兄[6]。信之が創業した三陽商会の会長や取締役相談役を歴任した吉原敬一は長兄[6]。敬一の長女、すなわち幸子の姪は音楽プロデューサー下河辺晴三に嫁ぎ1女をもうけた[6][7]
著書
詩集

幼年連祷 歴程社 1964

夏の墓
思潮社 1964

幼年連祷 思潮社 1965「夏の墓」の出版に合わせて思潮社から発売。歴程社版とは外函裏のイラストが異なる。

オンディーヌ 思潮社 1972

昼顔 サンリオ出版 1973

魚たち・犬たち・少女たち サンリオ出版 1975

夢 あるひは… 青土社 1976

幼年連祷(新装版) 思潮社 1976外函裏のイラストは歴程社版と同じ。

夏の墓(新装版) 思潮社 1976

夜間飛行 思潮社 1978

花のもとにて春 思潮社 1983

ブラックバードを見た日 思潮社 1986

樹たち・猫たち・こどもたち 思潮社 1986

新編 花のもとにて春 思潮社 19881983年版からエッセイ「河にそそぐ川」を削除し、詩7篇を加えた改訂版。

発光 思潮社 1995

選集・全集

吉原幸子詩集 思潮社 1973 (
現代詩文庫

新選 吉原幸子詩集 思潮社 1978(新選現代詩文庫)

吉原幸子全詩 I, II 思潮社 1981

吉原幸子 中央公論社 1983(現代の詩人 12)

恋唄 沖積舎 1983(現代女流自選詩集叢書)

続・吉原幸子詩集 思潮社 2003(現代詩文庫),「新選 吉原幸子詩集」の増補版

続続・吉原幸子詩集 思潮社 2003(現代詩文庫)

吉原幸子全詩 I, II, III 思潮社 2012

随筆

人形嫌い 思潮社 1976

花を食べる 思潮社 1977

母たちの時代 共著 駸々堂出版 1980

ちどりあ詩 思潮社 1982

童話

クモンの空 エルム新社 1977(メルヘンの国)

鳥の伝説(再話)すばる書房 1989(絵本・どうぶつ伝説集)

対談集

女を生きる女たち-吉原幸子対談集 思潮社 1985

今をはばたく女たち-吉原幸子対談集 思潮社 1988

翻訳

マッチ売りの少女 H.C.アンデルセン 文化出版局 1980

裸で生きたい ソニアのファッション哲学 ソニア・リキエル 文化出版局 1981

恋文 アントニア・フレイザー三笠書房 1981

みだれ髪 与謝野晶子(現代詩訳)?谷川俊太郎編『明治の詩歌』学習研究社 1982

百人一首(現代詩訳)平凡社 1982

ビリティスの恋唄 ピエール・ルイス PARCO出版 1982

マンガ百人一首(現代詩訳, 絵/中田由見子)平凡社 1986 のち「まんが百人一首」に改題。

女たちの恋歌(現代詩訳)PHP研究所 1986 のちPHP文庫

シルヴィア・プラス詩集 皆見昭共訳 思潮社 1995


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef