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吉原寛人
基本情報
国籍 日本
出身地滋賀県
生年月日 (1983-10-26) 1983年10月26日(40歳)
血液型O型
騎手情報
所属団体石川県競馬事業局
所属厩舎加藤和義(金沢)
勝負服胴赤、黒縦じま、袖青
初免許年2001年
免許区分平地
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吉原 寛人(よしはら ひろと、1983年10月26日 - )は、地方競馬の金沢競馬場・加藤和義厩舎所属である。
来歴2016年1月27日、川崎競馬場
2001年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、松野勝己厩舎からデビュー。同年4月7日に金沢競馬場第2競走でデビューし、同日第5競走で優勝して初勝利を挙げる。同年9月10日に行われた第16回全日本新人王争覇戦で2位となる。同年10月27日に京都競馬場で行われたもみじステークスを、5番人気だった金沢所属のトゥインチアズに騎乗し、中央競馬(JRA)初騎乗で初勝利を挙げた。この勝利は金沢所属馬としてのJRA初勝利となった。12月にはNARグランプリ最優秀新人賞、日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞した。2008年12月にはNARグランプリベストフェアプレイ賞を史上最年少で受賞した。
2002年1月6日に金沢史上最速となる595戦目での通算100勝を達成した。
2003年5月11日にマカオジョッキークラブがタイパ競馬場で行う予定だった第11回マカオ見習騎手招待競走の日本代表に選出されるが、重症急性呼吸器症候群(SARS)集団発生の影響で開催が中止された。
2006年1月にオーストラリアへ海外遠征する。3月にはドバイ・ナドアルシバ競馬場へ遠征、ドバイゴールデンシャヒーンのアグネスジェダイに騎乗した(6着)。秋には第2回スーパージョッキーズトライアルの金沢代表に内定していたが、JRA騎手免許試験の1次試験と日程が重なり辞退した。なお騎手免許試験は不合格だった。
2007年9月17日に地方通算700勝を達成する。10月18日に行われたスーパージョッキーズトライアルの第1ステージでは3ポイントしか獲得できなかったため13位となり、第2ステージへ進めなかった。
2009年1月27日に行われた第7回佐々木竹見カップ ジョッキーズグランプリに初出場し、内田博幸、岡部誠に次ぐ3位入賞となった。同年10月18日第15回金沢競馬3日目第9競走もみじ特別(B級勝馬B11組)をクイーンズコートで優勝(10頭立て2番人気)し、地方・中央合算での通算1000勝を達成した[1][2]。
2011年1月18日から3月18日まで南関東公営競馬で期間限定騎乗を行った[3]。川崎競馬場での所属は内田勝義厩舎。12月、ワールドスーパージョッキーズシリーズに出場。2勝を挙げ総合2位[4]。
2012年1月10日から3月9日まで南関東公営競馬で期間限定騎乗を行った。
2013年4月2日から6月1日まで南関東公営競馬で期間限定騎乗を行った。
2014年1月1日から2月28日まで南関東公営競馬で期間限定騎乗を行った。また、この年の東京ダービーをハッピースプリントで制し、同レースでは史上初となる南関東以外の他地区所属騎手としての優勝騎手となった(2016年にもバルダッサーレで同レース2度目の制覇)。
2015年7月20日に盛岡競馬場で行われた第19回マーキュリーカップにて大井競馬場所属のユーロビートに騎乗し、ダートグレード競走初勝利を挙げた[5]。
2017年11月26日の京都競馬場で行われた第62回京阪杯(3歳以上GIII・芝1200m)にてネロに騎乗し、JRA重賞初勝利を挙げた[7]。
2019年10月14日に盛岡競馬場で行われた第32回マイルチャンピオンシップ南部杯にてサンライズノヴァに騎乗し、GI級競走初勝利[8]。
2020年9月6日に金沢競馬場で行われた第55回サラブレッド大賞典にてカガノホマレに騎乗し1着、この勝利で重賞通算100勝を達成した[9]。
2021年11月3日に金沢競馬場で行われた第21回JBCクラシックにてミューチャリーに騎乗し1着となり、史上初の同競走の地方所属馬勝利を挙げた[10]。
2023年11月9日に門別競馬場で行われた第66回道営記念において、先頭を走っていた騎乗馬エンリルが3コーナー過ぎで故障し転倒。後続の5頭も巻き込まれ、出走11頭中6頭が落馬競走中止する大事故となった[11]。この事故で腰椎にひびが入る重傷を負ったが、わずか39日後の12月18日に金沢競馬場で復帰を果たした[12]。
2024年2月22日に姫路競馬場で行われた第16回兵庫ユースカップをリケアサブルで勝利し、その時点で存在するばんえい競馬を除いた全地方競馬場14場での重賞勝利を史上初めて達成した[13][14]。
表彰